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  映像研究

『kotoba』

 
・冬の通常業務。



集英社から出ていた雑誌『kotoba』を買ってみたのだった。ここ数日で『超マクロ展望 世界経済の真実 (集英社新書)』という本をがつがつ読み進めて、読み終わったこともあり萱野稔人という人と堀江貴文という人の対談なども面白いことが話されているのではないかと思ったのだった。「ベーシックインカムはゼロ成長時代の救世主か?」というタイトルの通り「ベーシックインカム」という制度を採用することで社会はどのように変わりうるのかという話。二人の「ベーシックインカム」に対する考え方の違いから色々なことを考える。そして(個人的に)驚くべきことであったのは、自分がこの対談のある部分に関しては(予想に反して)むしろ堀江貴文という人の意見に納得するかもしれないないということだった。例えば「世の中には無駄な仕事をしている人がいっぱいいる」というような意見に対して自分は「そうなのだろうなぁ、でもわざわざ言うことでもないのだよなぁ」と思っているのだとすれば、それは「意見が違う」というよりは、また別の問題だ。そのような既成概念に捕われない意見、あるいは元IT社長なりの「普通の意見」は、自分にとっての「思考実験」と重なる部分があるということがわかった。



・しかしそれにしたって特集のタイトルだってよく考えてみれば凄い。『「脱成長」の経済を生きる』と言い切ってしまった。ポール・クルーグマンという人(知らないけど)のインタビューの冒頭なんて「アメリカ式の資本主義、新自由主義グローバル資本主義、そして市場原理主義はなぜ失敗したのでしょう?誰もが失敗だったと言っています」という質問から始まって、これを読んでクラクラしない人がいたら、相当にトレンディーな人だと思う。その他の記事でも当然のように「脱成長」「低成長」「ゼロ成長」について論じられているものの、いつの間にそれが常識になったのか、こちらはまるでわからないので、ちょっと近未来の読み物みたいで面白い。「はい、資本主義は失敗!、はい、次!次、何?」みたいな潔さというか切り替えの早さみたいなものは、広義のカウンター・カルチャーとでも言いますか、アクティヴィズムとか、そういうところからは出てこないような妙な勢いがあって、とりあえず新鮮ではある。



・そしてその色々な記事の中で(まだほとんど読めていないなりに)読みやすかったのは「トランディションタウンの冒険」という記事で、例えば「真に持続可能な社会への移行」という見出しの通りに、食料やエネルギーの自給とか、コミュニティの可能性とかが書かれている。「競争と奪い合いの社会から、共生と分かち合いの社会への転換へ」というような言葉で締められている文章は、今の自分にとっては非常に理解しやすいものだったけれども、しかし一方それは他の人(一般的な、とかそんな変な分けかたをするつもりはなく、ただ普通に、例えば「他の誰か」)にとってはどのような意見を持つののだろうかと思ったのだから、ぜひそのような問題について話がしたいと思う。トランディションタウン(TT)に限らず、それは「『脱成長』なのだったら、当然今よりも質素になること前提で、そのことに楽しさとか積極的な意味、可能性を見いだすことはできないのだろうかね」というようなこと。そしてそれは個人的には芸術の仕事でもあるのだと思う。



・というような雑誌を買うか買うまいか本屋で迷っていて(節約中だから)、「ああ、難しいこと考えないで、ファッション雑誌でも読もうっと」と思って手に取った藤原ヒロシの『ハニマグ』をパラパラと立ち読んでいると高城剛の文章。「オーガニック革命」のその後というような内容のテキストだったけれども、特に「『一日三食』なんてエジソンがトースターを売るために考えたこと」「人間は『一日二食』で充分」「『一日二食』にすれば食料の自給率も上がる」「食べる量を減らすべき、という意見は飲食関係の企業が広告についているメディアではできない」「企業はどんどん食べて、スニーカー買ってジョギングして痩せて、できればまた太ってもらいたいと思っている」など(超意訳)、エジソンのくだりが本当かどうかはわからないですけれども、基本的には、少なくともその部分に関しては、本当に真っ当なことを書いていて、かなり良かった。そして、ああ、「トレンディー」であることとは、つまり、やはり、新しいライフ・スタイルを構想できることなのだな、と勝手に納得した結果、『ハニマグ』を置いて『kotoba』を手に取ってレジへと急いだのでした。