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  映像研究

知恵

 
・労働と仕事の違いについて考えていたかもしれない。あるいは労働と生産の違いについて考えていたかもしれない。新しいものをつくり出すことの価値を充分に理解するためにはどのような手続き(準備)が必要かについて考えていたかもしれない。このような漠然とした問いをたてたのは、誰もが限られた1日24時間のなかで色々なはたらきをして、何らかの対価を得つつ、雨風をしのぐような場所を借りつつ、生命の維持に必要な飲食を求めつつ、なおかつ精神に支障をきたさないためにも文化的な生活を営む、ということがなぜこんなにも困難なのか、考えていたからだった。日本国憲法第25条は、誰に、どのように、どの程度、適応されているのだろう。


・人がさしあたり「この社会」のなかで暮らすからには必要な過程を学ぶような時間のなかにいる今だと思っている。社会的生活の必修科目のような時間のなかにいる。たとえば実家の親の分の確定申告をしてみることは社会科の時間。あるいは医療に携わる人を目の当たりにして考えることは倫理の時間。そして生物としての人のからだの変化について知ることは生物学かあるいは哲学や芸術について考えることかもしれない。そしてそういうそれ自体すべての人に関わるような(そして学問でもあるような)事柄が、同時にあまりにも普通に生活の出来事として起こることの不思議さと折り合いを付けるために、たとえば文学/物語は存在しているのかもしれない。



・こうしたメモを2月22日の午前中に書き留めて、途中で書くことをやめて、その日の午後に自分にとって特別な出来事の知らせを受けて、色々にすべきことを片づけて、いまは3月の半ばになった。その2月22日のメモを残しておく。