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  映像研究

物欲について

 
・基本的に物を買うことが好きなのだと思う。新しい物に恋いこがれてその物に対してお金を支払ったならば晴れてその物は自分の住んでいる家にやってくる。自分の家にやってくることとは違った種類の買い物もあるけれども(それこそ家とか)基本的には、購入したそれを紙袋とかに包んでもらって家に持って帰る。家に帰ったならばその包みを開封する。その物は家の中のしかるべき場所に収められるのだろう。そのような一連の流れとしての買い物について。


・数日前に初めて「gu」という洋服屋さんを覗いてみたならば、話には聞いていたけれども、とりあえずその値段の安さに驚く。靴下5足で500円。それはもちろんそうなのだ。それはそのお店が特別なわけではなくて、そういえば昔からそういうことだったよなぁと思うのだけれども(ジーンズメイト)、ではそのような物を買うという選択肢もある中で、例えば1足1000円以上する靴下とは何なのだろう。


・去年の秋くらいにこれまでの靴下との付き合いについて考え直した結果、乾きやすい、蒸れない、靴擦れしない、色がきれい、とかの基準からオシュマンズに売っていた「A HOPE HEMP」というメーカーのものを3足買って、冬から春先まで基本的にはその靴下ばかり履いていた。1足1000円以上するので安い買い物ではないと思うのだけれども、あまり気にならなかった。何よりとても快適になった。そして春夏シーズンになってまた新しい素材のものを2足買い足してみた。それを毎日履いている。(これは広告ではない/広告である)


・自分は25歳くらいの時にふと思い立って実家から出てアパートでも借りてひとりで生活してみようと思ったのだけれども、その時に、今ままで自分の部屋にあった物が、そのアパートに移動した途端に、何か違った物として見えたという経験を、時々思い出す。電球も、スプーンも、マグカップも、台所マットも、マジックペンも、すべてはどこかでお金を払って購入してきた物が、この部屋に並べられている(陳列/展示されている?)のだという感覚を何度でも思い出す必要があるのかもしれない。


・物欲について書くつもりだった。それは例えばニューバランスのスニーカーならば、やっぱり1500がいいかな?というようなことだ。不良の人の「おれも昔は相当なアレだったんだよ」的な(不良であったことがないからわからない)マインドで、自分が徹底的に商品に捉えられながら、その中でひたすら細かい点を調べようとするような、そういう感覚を持っていたことを思い出した。なぜいま思い出したのだろう?