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  映像研究

抽象と映像の夏、2012年の8月・その18

 



・思い出す。自然と思い出すことがあり、思い出さなければと思って思い出すことがある。思い出さなければと思って全然違うことを思い出すことも好きだ。全然違う映像。思い出した映像。大学の5年目に受講していた授業で紹介された「フィル・ニブロック」という名前を覚えていて、あるときに御茶の水のレンタル店ジャニスでCDとDVDを借りてみた。CDは自分にはあまりぴんと来ないような(それはそれで面白くもあるとして)音楽だったけれども、DVDの映像の方は何だか面白かった。「面白いなぁ」と思いながら返してしまった。


・それで調べてみる。「Movement of Working People」という題名が出てきて、それを訳すならば「はたらく人の動き」ということになるのか。「はたらく人の動き」が見たい。何かを作る手の動きや何かを手に入れる視線や全身の運動。そういうことがいつも気になる。その動きを美しいものとして見るとか、その動きを機能的であることにおいて美しいものとして見るとかではなくて、存在するものとして見る。興味を持つ動きとして見る。衣服を作る手の動きを見たい。


・そして「Movement of Working People」から『ルアッサンブラージュ』のことを思い出し、また『水牛通信』のことを思い出す。いつも思い出したときに『水牛通信』を手に取ってパラパラして、忘れた頃にまた思い出す。秋にまた再び何かを始めるための準備をしたいと思った。本を読む。本を読みながら生活について考えるだろう。具体的な手で触れられるものやことについて考えて、考えた結果、何かを作るのだと思う。そのために何度も同じ文章をなぞる。かなり違った状況で書かれた文章の中にある感じ、感じのようなものを今に活用するためになぞる。

報告、何かが起こりつづけていることをしめすのではなく、民衆が何をしているのかを報告する。量ではかられる情報ではなく、モデルの本をつくる。
モデルは民衆のくらし、しごと、たたかいのなかからひろいだされた身ぶりだ。どのように稲を刈り、めしをくい、労働者は機械をとめ、すわりこむか。それらの身ぶりをなぞり、ほかの身体にうつしかえるうちに、身ぶりは洗練されてくる。ながい生活の時間にくりかえされ、しごとのなかでみがかれ、たたかいのなかできたえられた身ぶりが引用されるとき、それらは水辺の石のようになめらかに、しかもとぎすまされたナイフのようにするどくなる。
身体の身ぶりだけではなく、声の身ぶりがある。それらは言葉となってしずみ、歌となってひるがえる。
洗練された身ぶりは、ひとつひとつのかたちから「かた」にちかづく。なぞられたかたちは、りんかくがしだいに影をこくし、単純な線の運動に収斂する。かたちが「かた」をめざすとき、その方向をきめるのは分析やおなじようなかたちをかさねあわせて共通部分をぬきとることによってではないだろう。目標にねらいをつけ、現実のなかでよけいなものをけずりおとしながら、具体性をうしなわないままの「かたちの原理」とでもいうべきものがあらわれる。そのとき、身ぶりは身体や声にきざみつけられ、しかも別な身体、別な声の上にのりうつる感染力をもつにいたる。
それでもモデルは断片的なものだ。生活全体をひとつの身ぶりにこめることはできない。ひとりでもたたかうという決意は、状況のなかでくずれてゆく。身ぶりをひとりのものとしないで、みんなの場所に解放するにはどうしたらいいだろう。
ひとりではたたかえない、という発見こそ決意にあたいする。そこで自分の身ぶりをまもりながら他の人たちを発見すること、かれらの身ぶりをみつめながら自分のかたちを少しずつ変えてゆき、そのことによって他の人たちの身ぶりにもある作用をおよぼすことを知るだろう。身ぶりのモンタージュのなかで、心づかいのつくりだすリズム、人びとがいっしょにやってゆくための行動のスタイルがうまれるだろう。
「水牛」はアジアの民衆の解放運動の空間のなかへ、私たちのしごとをときはなすこころみだ。しごとがささやかなものにすぎないことを自覚し、しかもそれが他の場所での他の人たちのしごととひびきあっていることを感じる。魚が水を必要とするように、実践をたえずのりこえるための、ひろい空間が必要だ。制度化しているものを、自分の手にとりかえし、体系化したものをときほぐして方法に変える。そのために新聞は、引用し、編集し、モンタージュをつくりあげる。(高橋悠治「水牛、でてこい」/『水牛通信1978-1987』より)