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  映像研究

物体の冷たさ、冬の断片や断面。

 
・寒い寒いと言っている。今年は寒い。コンスタントに寒い。高尾に住むようになって3年。毎年寒い。時には時に相応しい寒さがある。場所には場所に備わった寒さがある。それぞれの寒さがある。すっかり空気が冷えている種類の寒さ。昼の陽で地面が暖まりきらないまま夜がやってくる。地面は冷たいまま日々が過ぎる。灯油を燃料として炎を燃やし、ファンによって暖かい空気を送る、いわゆるひとつの「ファンヒーター」の熱も次第に消えていく。朝に蛇口をひねると「…?」という感じで水が出ないことがある。その目安は、最低気温が-5℃。冷えた朝。


・日々の記録。2012年の。比較的に業務が忙しい時期の備忘録。規則正しい生活を送ることの気持ちよさ。


・「白湯」を飲むのが健康に良さそうという話を聞いて、思い出したようなタイミングで飲む。アラジンストーブの上にドリップポットを置き(やかんが壊れたからポット/でも本当はやっちゃだめ)適当に暖まったお湯をぐいっと飲むと胃の中に注がれたお湯が胃の形に沿って落ちていくような感覚。レモンを搾ったり、蜂蜜を投入したりするのもまた良し。寒いから。


・植物を育てることのメタファー。畑が耕されているイメージ。耕された畑に種を蒔く。メタファーならば「耕すこと自体が楽しい」とか言っても許されるような気がする。何かを準備する楽しさの中にいる今。


・春の、初夏の、暖かい雨の日に山を歩いたことを思い出す。ゴアテックスのウェア上下を着て歩く。水に濡れた葉の緑。つやっとした木の幹。固く残った雪。緩く溶けて斜面に沿って流れ落ちる雪。それらが時間的/空間的に、繋がりながらもばらばらに存在するようなイメージ。


・字が下手になったのではないか?と考えると本当に恐ろしい。歌がうまく歌えないのではないか?と考えることも恐ろしい。時々字を書いてみる。歌を歌ってみる。ああ、こういうことだったっけかと思う。自分が描く線を見る。声を聞く。声のかたち、呼吸、メロディは、それも、見えないけれども、やっぱり線のイメージ。言葉から言葉へ飛び移るように歌っていると気持ちがよい。昨日(昨日でなく一瞬前でも去年でも良いけれども)と今日の自分が、どうやら同じ生命であるらしいことを確かめるための、探るための方法。楽器が弾ければ楽器を弾いてみるのも良いかもしれない。楽器に触れる。自分のからだ以外の物とのコミュニケーションによってわかることがあるかもしれない。ワンクッションある。リ・アクションがある。それも楽しい。


・いつでもそうであるように、春が来ることが、春になることが、まったく想像できない。むしろ早く夏にならないかなぁ。


・昨日晩ご飯を食べていた席で「資本主義との(適切な)距離」という言葉を聞いた。そういえばいつからか私たちにとって「資本主義」というものは「(適切な)距離」が測れるようなものになっていたのだろうか、というこれは言葉だけの考えなのかどうなのか。人がたくさん(億とか)いるのだから、それは、そこには、経済がある。資本がある。でも、その場合の、色々な「距離」とは。


・トレンディとかおしゃれとか、時代の空気がどうだとか。そういうことばかりを話しているのは楽しい。色々なことについて自分は「少し前」にわかることもあるような気がする。例えば数年前に、ふとダッフルコートが「あり」になるタイミングを感じたこととか。タックが入ったズボンが良いような気がした時のこととか。でもそれを「少し前」にわかるのは、恐らくはみんながみんなそうなのだから、当たり前だけれども特別な力ではない。もしもそれが「だいぶ前」だったら、それをもって何かの職業とするようなこともあったりするのかもしれないけれども。


・「スニーカー」が流行るのかもしれない。アディダスのスーパースターとか、かなり今っぽい。


・ファッションのことを考えるのは楽しい。自分のからだのかたちや動きが、ある服を求めて、また、ある服が自分に新しいからだの使い方を教えるようなことがあるのは楽しい。


・言語のようなファッションが。言語のようにファッションを。社会的な属性のようなことで捉えることよりも、本来の意味で「記号」として服のディテールを見ることができるならば。ちょっとした襟の形とか、シャツの裾の切り方とかで、全然からだ全体にイメージを与えることがある。細部にぐぐっと寄って見て、そしてささっと引いて全体を見る。しかも着られるからな、服は。着て、洗濯して、干して、また着る。それも良い。


・『kolor』のウェブ・サイトを見て、これからやってくる春夏の服の、コーディネートの、シルエットから何かのイメージを受ける。自分が持っているkolorのカーディガンはそういえば6年くらい着続けていて、でも着るたびに新しい、新鮮な気持ちになれる素敵な服。そういう服をいくつかは持っていても良いかもと思う。実物を見たことがないけれどもトルコの人が作っているらしい『UMIT BENAN(ウミット・ベナン)』というブランドの服を最近知って、面白そうだった。流行っているのかな?とっても買えないけれども着てみたいような気もする。あと買えないし特に着てみたくもないけれども、見る分には楽しいと思うのは『saturdays surf NYC』とかで、その服と、その服が着られるシチュエーションのイメージを見ていると、アメリカを、全然違う文化の全然違う背景を持つ場所として感じられるような気がする。適当ですけど。


・レッド・ウィングのブーツのソールがすり減りきった。白いビブラムソール。懐かしの裏原宿ジェネレーションから15年近く履いてるアイリッシュ・セッター。間の8年くらいは全然履いていなかった靴箱の中のベテラン選手。ソールがすり減るだけでなく割れてしまった。ソールを交換しよう。そうすればまた履くことができる。死ぬまで履くことができるかもしれない。できないかもしれない。人の次に物を大切にしたい。


・一方クラークスのトレックのソールもぱっくり割れてしまった。ゴムのソール。ソールが割れて、穴があいて、穴に指を入れたら足の裏に触れた。ツーツー。全然だめだ。10年近く履いた。親戚の何かでちょっとちゃんとした格好をしなければいけない機会があって、その機会に乗じて購入した。渋谷のシップスで購入した。MADE IN どこかにこだわっていたけど忘れた。


・靴が壊れる。レッドウィングはソールを張り替えればよいと思うけど、クラークスはもう無理かもしれない。もしも無理だったら残念だ。物は永遠ではない。でも工夫すれば長く履くことはできるのかもしれない。


・そういえばこの(今着ている)ダウン・ジャケットもちょうど10シーズン着た。2002年前に池袋のP'PARCOの(懐かしいなぁ)LHPというお店で買った。「PHデザイン」というブランドで、イギリスからやってきた服らしく、店員さんが「ハリウッドのセレブが着ています」とプレゼンしてくれた。「僕も買っちゃいました」とプレゼンしてくれた。5万円した。すっかり色あせたけれども(ダークなグレーだったのが変な玉虫色みたくなってきた)、まだまだずっと暖かい。


・そうやって持っている物の来歴を時々思い出す。友達と初めて会った時の話をするように思い出す。言葉にしてみる。物語りをいつもしている。


・はじまりとおわりがあるとも言えるけど、はじまりもおわりもないとも言えるもの。時間の流れを任意の地点で切断してドロップする。その切断した断面を真正面に見て、全体をパースペクティブに収める。そのとき見える状態の、霞みつつ見える限りの遠い地点がはじまり。おわりは任意。はじまりは見えたり見えなかったりする。どちらもあるようなないようなもの。物語りについて。


・おわりは任意。確かにおわることはある。でも大抵のことはそれほど簡単にはおわらない。そしておわらせないように工夫したりする。人の知恵や技術を借りることもある。それはちょうどブーツのソールを張り替えるときのように。


・おわりは任意。ドトールのモーニングを食べ終わって業務に向かう。