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  映像研究

全体または総合、感想

 
・夕方から西巣鴨へ出かけて遊園地再生事業団の『トータル・リビング1986-2011』を観劇する。観劇して忘れないうちに備忘録できることを備忘録しておこうと思う。その演劇から色々なことを考えるし、その演劇から色々なことを思いだす。そして普通に自分が考えていること(あるいはこの7ヶ月考えてきたこと)との関係を考える。震災以降の表現として、それが「ある地点から時間が経ってしまうこと」と「時間が経つことによって何事かを忘れていくこと」を題材としているように思えるのならば、それは今観た方がよいような表現だ。そして、だから、それが、それこそが今自分が考えたいことであるのだと思ったし、思いだした。



・「トータル・リビング」という、変な言葉は何だろう?と思って「トータル」は「全体」とか「総合」とかの訳が適当であるのかなと考えつつも、しかし一方「リビング」は「リビング・デッド」の「リビング」だけれども「生活」とか「生者」とかいう意味もあるようだとその和製的なカタカナの英語をもてあそびつつ、その「トータル・リビング」という言葉のイメージは、ビデオカメラの映像が、ファスト・ファッションの、さして違いのないような白いシャツのタグにピントが合う瞬間に、少しだけしっくりときた。断片が断片のまま置かれるだけでもなく、断片でありつつも繋がっていて、繋がったらせっかくだから人称も立ち上がって、立ち上がったのだったら設定のようなものも生まれる。そして出来事のようなことが起こる。



・第二部は、あれはかなり忠実な(出来事そのままということではなくて)宮沢章夫という人の見た(見てきた)「1986年という場所」なのか、あるいはまた宮沢章夫という人のセルフ・ポートレートのような場面なのか、どうなのか。「アイドルの自殺と原子力発電所の事故も、すべては等価である」とか何とか言い出し兼ねないような、あのテンション、あの人と人とのコミュニケーションの作法、あの思考の枠組み、のようなものは(実際にそれが、あのようであったのか?/という疑問にそれほど意味があるとも思わないなりに/一応考えつつも)自分が考える「間違った『ポストモダニズム』の輸入」に思えるのだけれども、それはそれとして、2011年にそれを見たら、どうなのか。それは「狂った騒動のような時代」であると同時に「今の自分を形成している何事か」をそこに見つけることもできるのか。あるいは「何も変わっていないじゃないか」と思うこともあるのか、どうなのか。



・去年観に行った『ジャパニーズ・スリーピング』が自分にはあまりぴんとこなくて、それはそれとしてもちろん面白かったのだけれども(その前の『ニュータウン入口』があまりにも良すぎて二回観に行ったりしたのだから/初めて演劇を公演期間に二回観に行った/二回観に行って考えたことが沢山あって良かった)それはそれとして『ジャパニーズ・スリーピング』という作品の中で重要なのだろうなと思った「インタビューすること/されること」という場面、設定、そしてそのコミュニケーションの形式/表現(主に映像)の方法、というものが『トータル・リビング』を観ることで、何となくしっくりきたように思った。そしてそれは非常にシンプルに「質問をすること」について考えさせられたということかもしれない。「会話をする」ことと「質問をする/答える」ことの違いについて考える。それはきっとこの7ヶ月の間に、恐らくこの、同じ国と呼ばれる近しい場所に暮らす多くの人が、それまでとは違った種類の「会話」をして、あるいはそこから離れて「質問」を送り出し、また誰かの「質問に答える」という経験を繰り返してきたことと無関係ではないように思った。「質問」が力、場合によっては「暴力」二なりうるかもしれないことを考える。



・またカメラを向けることから「演じる」ことについて考えて、そのことから「自然」ということを逆に考える。「演じなくても自然で良いんだ/台本に書いてあるじゃないか」という、その言葉だけを見れば完全に分裂しているような、そのような台詞が象徴しているような表現の作法を、しかしむしろ自分達は(もしかするとある種のトレンドとして/それは1986年にはなかったような種類のトレンドとして)超積極的に推奨してすらいると思ったりするのだけれども、そのことについてあれだけ執拗に舞台の上で表現することも、普通に考えれば凄まじいし、良い意味でわかりやすい。そしてまたそれは自分にとっては単に「演劇上の」あるいは劇映画も含めるならば「映像上の」演出に関わることだけとも考えられずに、ついつい「アート・ドキュメントテーション」的な記録を必要とする現代的な芸術的行為とも繋げて考えてしまう。



・今だってきっと耐用年数を失っていない(むしろ回帰した印象すらある)「そのままで良いんだ/そのままで芸術になる」というテーゼと、しかし一方1986年の、あの「ジャンルの越境性をゲームのように楽しむ的なアーティスト」はどう繋がるのか繋がらないのか。そう考えたならば、あの舞台は一貫して「コンセプチュアル・アート」との距離というか、少なくとも緊張感のようなものを持っていた。「レディ・メイド」「商品の断片」「物体の消失」そして「商品/物体の回帰」は、何かの象徴としてではなくて、非常に個人的な物語の一要素として捉えられる。あるいは「物を語る」ためのきっかけとしての「言葉と物」がある。その言葉は断片的で、記述で、つぶやきにも似ている。そのような意味での物との再会が結末であったように思った。



・というようなことを考えたりする一方でしかし、完全に個人的に気になっていたことは「あの花火の映像は自分が撮影してyoutubeにアップした映像を使っているんじゃないか」ということで、そんなはずはないと思いつつも、あれ?でもそんなはずないってこともないのかと考えたならば(ないでしょうけれども)それもまたひとつの「2011年の映像の特性」かもしれないという、これは完全に個人的な感想。すべての出来事は撮影されて、共有されて、そして「忘れる」ことすらないままに、環境として流れ去っていく。その中のある種類の映像には「コピー・ライト」という概念が宿る、その理由も根拠も必要もないように思う。その映像を自分が撮ったのかわからないような種類の映像。水があるように映像がある。水より安い映像。水がなくても映像。ナチュラル・映像。ナチュラルな映像についてトータルに考えながら、そして慣れない地下鉄を乗り間違えながら、24時帰宅。