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  映像研究

説明

 
・文章を書く練習をする。何度でも練習を再開しなければいけない。何度でも再開しなければいけない。考えることを再開しなければいけない。ブログを「プライベートモード」に設定する人の気持ちが理解できるような気がする。2005年のパブリックなモードと2015年のプライベートなモードと例えば言ってみて、それはプラットフォームの変化もあるのだし、ジェネレーションの入れ替わりもある。子どもは学生になり、学生は社会人になる。あるいは人の親になる。事業主になる。何者かになる。そういう変化とともにネットワークはある。ネットワークとともにコミュニティもある。


・岸政彦という人の『断片的なものの社会学』という本をしばらく前に買って読んでみて、「断片的なもの」という形式にも「社会学」という領域にも、あるいは「インタビュー」という方法にも興味がありながら、それを読む。それは「ブログの楽しみ方が書かれた本」でもある。断片的なテキストを読み、それを読むことと自分の生活が時々重なり合うことを感じつつ、その「感じ」が、どこかで倫理のようなことに接続する可能性を予感する。「敵と味方」に分けて考えることから覚めようとするためには、「すべては緩やかに繋がっているのだ」と考えるという方法もあるけれども、同時に「あらゆる物事が他者である」と考えることもできるのだ。


・ゲームそのものが悪いということはないのだと理解しつつも、さしあたり目につくものとしての「電車の中でいい歳をした大人がスマートフォンでゲームをしている光景」について、自分はそれを否定的に捉える。あるいは誇張なしに恐ろしく思う。ある巨大な力によってばかまらかれた細菌兵器に感染してしまった人たちだというふうに眺める。時間泥棒と目の前で向かい合っているのに笑顔で盗まれていく様子を見る。時間がお金であるというプログラムを充分に受け入れたのちに(受け入れないこともできるのに)その時間を浪費する、そしてその電車もまた時間とお金を交換するための施設に向かっているのだとすれば、絶対にその一日は黒字にはならないだろう。時間を盗むことを目的として完全にデザインされたゲームと、そのゲームに似せて作られた(あるいはゲームの劣化版としての)広告あるいはSNS。本気でデザインしているのならば、そこから逃れる方法も本気で考えなければいけない。


・「それはただの写真です」または「それはただの映像です」という言い方を想像してみて、そこで指し示す「写真」「映像」をネットワークとの接続からは考えないということ。むしろ「ただのイメージとしての写真」や「始まりの前には何もなく、終わりの後にも何もない、ただのある時間の長さしかない映像」を、その「ただそれだけのもの」であることにおいて、可能性として見直すこと。そこに「物語」に向かう必然性もあった。任意の視点からしか捉えようのないこと。それはあまりにも当たり前であるけれども、気がつけば忘れてしまっていたかもしれないことでもある。語りはつねに「中断」「途切れ」とともにある。小さな途切れとしての息継ぎや、もう少し長い途切れとしての眠りもある。そして「物語」はつねに他者によって再開される可能性を持つだろう。「再開している『この語り』が自分一人の語りではない」とはっきりと理解すること。そこに「所有すること」を相対化するための契機もある。特別な経済体制の特別な状況としての「個人所有」ということから、つねに逃れるものとして「物語」も「芸術」もある。


・久しぶりの友だち数人と久しぶりに夜中にだらだらと話している時に、友だちの一人が「芸術は本質的にレジスタンスである」と言ったことを、その語られている場の雰囲気とともに覚えている。それはどこにでもある夜中のダイニングキッチンだけれども、確かにその場自体がレジスタンス的な場でもあった。人と人が言葉を話し合い、それを聞き取ろうとすることには、なぜそうした雰囲気が宿るのか。明るい場所で効率的にやり取りされるコミュニケーション言語には決して宿らない、ある雰囲気がある。本当はそのことだけが「社会活動」を支えている力なのかもしれないと思った。そして個人が構想する「芸術の創造性」はまた少し違ったところから立ち上がるのかもしれない。だからそれは「集団芸術」に特有の雰囲気なのかもしれないけれども、もうそこで「芸術」という言葉を用いる必要はないのだし、そもそもより適切に言葉にしようとしたならば「人が集まって何か意味があると思われることを構想する」ことでしかない。「社会活動」というのも大袈裟かもしれない。「出来事」か。


・「出来事」としての「映画」や「演劇」があるのだろうか。「人が集まって何か意味があると思われることを構想すること」が映画になる、ということがあるだろうか。


・自分が各種の学校の中でしていることは「半ば無理矢理に数人をひとつのテーブルに集めて映像を作らせる」ということだけれども、そのことが「人が集まって何か意味があると思われることを構想すること」に変化していくかどうかはわからない。そうしてそういう場を作ろうとする自分もまた「半ば無理矢理に数人をひとつのテーブルに集めて映像を作らせる」ことと「人が集まって何か意味があると思われることを構想すること」のあいだを揺れながら、ぼんやりした意識をなんとかはっきりするように調整しながら、やっているのだと思う。


・先々週の金曜日の夜に久しぶりに国会前に行ったならば「SEALDs」という学生が中心であるグループが呼びかけ人になっている安保法制に対する抗議行動に参加した。日々の生活の中でその時の感じを思い出す。地下鉄に乗って国会議事堂前で降りて向かったならば、横断歩道をわたったところでかつて講師と学生という関係であった人から「お疲れさまです、列の後ろへお願いします」と言われて「ああ、どうも」と列の後ろに向かう。そして声を出すあるいは手を叩く。声を出しあるいは手を叩きながら「戦争という暴力について、あるいは暴力の歴史について学ばなければいけない」と考えていた。戦争の要因となる経済も、戦争の最前線としての暴力も、至る所に見つけることができる。いかなる研究をしようとも、その予感や断片を手放さないこと。