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  映像研究

計画と可能性

・202209201855。今日の作業を終えるタイミングで書いてみる。2.5日で70,000字くらいを65,000字くらいに縮めつつ推敲する計画だった。1日目が終了。予定よりも進んでいる。予定よりも進む、ということがあまりないからうれしい。今夜はこのあとスーパーに買い物に行ける。だが、明日になって急に丸一日作業ができなくなる可能性もある。推敲すべき大問題が発見される可能性もある。計画と可能性がせめぎ合う。

 

・意識しないほどに虫の音に包まれている。ここは東京の南西部。

 

宮沢章夫が亡くなって、タイムラインに流れる情報で知り「え」と声を出した。どなたかが書いていたことをなぞることになるが、近年は明らかにされなかった事柄があり、しかしそれがもう本人によって語られることがないことも含めて残念という気持ちがある。オンラインに日記を書くことの、確実にひとつの手本となっていた。富士日記。今も読むことができる。2007年には『ニュータウン入口』を観劇した。2回。現段階で同じ演劇の公演を2回観たのは『ニュータウン入口』と『トータル・リビング1986-2011』だけだろう。

 

・事象や事物を配置して、見てみる、という態度があった。見てみる、は、見てみる、に目的がある。それは論述や表現ではない。何かを準備することにはなるだろうか。そうした態度を勝手に受け取って、自分も何かの準備を繰り返していた(いる)。日記を書くことの内の、ある部分はそうした動機に基づいていると言えるように思う。あるいは自分にとって「学ぶ」とは、そうした、見てみる、の延長上にある。

 

・一方で、今現在はそうしたこととは別の姿勢で別のことを考えている、というふうにも思う。少し落ち着いたならば(2023年度)、その変化について考えてみたい。『『資本論』も読む』も、いつかまた読みたい。