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  映像研究

予感と情報

 
・『Inspiration Information』という題名のレコードがあることをふと思いだしたけれども、ところでこれをどのように訳すのが適当なのでしょうか。インスピレーションとインフォメーション。しかしそもそも訳す必要があるのかどうなのか。転がった単語だけをじっと見つめるように個人的に意訳するならば「予感と情報」。予感のような情報。予感させるための情報。予感させるための情報について考えている今日この頃。今日この頃考えていることによって、完全に勝手に英単語の意味は意訳されるし、完全に勝手に演劇の余白には自分の体験が埋め合わされる。今週のテーマは予感させるための情報についての実験?実践?なのであるからtwitterとかfacebookだとかにInspirationのようなInformationのような言葉とイメージを掲載するということをしてみた。考えるまでもなくわかることは世の中?世界?社会?には沢山のインフォメーションが存在するということです。あるいはインスピレーションも沢山存在する。そしてインスピレーションは大抵目には見えない。


『Inspiration Information』という題名のレコードの一曲目は『Inspiration Information』という曲で、あのイントロ(はぁぁ〜〜・はぁぁ〜〜・はぁぁ〜〜・ううぅ〜…)を聴いたならば色々な場所の色々な記憶が呼び起こされるけれども、ちょっと聴いてみようかと思ってyoutubeにて検索してみたならば(ちょっと聴いてみようかと思った音楽をyoutubeにて検索できるという環境の不思議さを思いつつ)検索した結果として完全に謎の映像が現れる。「藤のような植物と山羊」。謎のフェードと謎のズームイン。画面の比率が変わるのもまた謎だ。指先で蜂に触れようとしたならば蜂が飛び去り追いかけつつワイプ(2:08)。山羊のお尻を映し続けて映像は終わる。これは何のインフォメーションなのか。あるいはインスピレーションなのか。ソウル・ミュージックを聴きながら、仲良さそうに水を飲む3匹の山羊を見て、それで私たちは何を予感するのか。どのような情報としてそれを理解するのか。人は大抵そんなことを真剣に考えないし、もちろん自分だって真剣に考えない。しかし考えずとも見る。見ることができる。