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  映像研究

台風を待ちながら読書

 
・日々の記録は例えば9月2日の金曜日。台風を待ちながら読書をしている。家で本を読み、家で本を読むことに飽きたならば(今ひとつはかどらなかったならば)駅前のドトール・コーヒーの角の席で読書をする。3時間くらいする。ベルクソンという人の『時間と自由 (白水uブックス)』を読んでいる。しばらく前に読んだ高祖岩三郎という人の『新しいアナキズムの系譜学 (シリーズ・道徳の系譜)』という本を再読してみる。あるいは中沢新一という人の『日本の大転換 (集英社新書)』を購入してみた。それらを鞄に入れて駅前のドトール・コーヒーへ向かう。


・それで本を読んだり本を読まなかったりする。何か思いついたときのためにマッキントッシュのノートブックと本当のノートブックを持っていってみて、そこに何か思いついたら書いたり書かなかったりする。最近になってようやく気がついたのは、日々業務をしている期間に手当り次第に手に取ってみたような書籍やその書籍に書いてある面白そうな事柄を、業務が一段落したならば一度まとめてみる必要があるということだ。それで、だから、今の自分は「何を自由研究するか」ということをまた(何度でも)考えている。


・どうもドゥルーズという人が怪しいと思っている。興味のありそうな本の興味のありそうな箇所を読んでいると大抵ドゥルーズだった2011年の夏。猛暑日にぼんやりと「ドゥルーズ…」と思っていたら誕生日にドゥルーズの本も貰った。あるいはまた落雷と夕立の日々に「ドゥルーズ…」とつぶやいていたら後輩から有益な情報も貰った。人はいつもそのようなわらしべ的な学習の日常にある(のかもしれない)。


・それにしたって一方全く「映像」を見ない。仮にも『シネマ』とかいう題名の本をいつも見えるところに置いているにもかかわらず(ちなみにまだ読んでない)「シネマ的な何か」を観ようという気に全くならないのはどうしたことだろう。youtubeは時々見る。そのようにして夏の終わり/秋の始まりの休日に、台風がやってくるらしいのをじっと待ってみる。色々なことを待ってみる。