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  映像研究

そしてまた月曜日には別のこともあった

 
・5月23日(月)は昼前に外出して虎ノ門へ。目的地を完全に間違えて永田町に着いてしまって慌てて虎ノ門へ。文部科学省というところへ行く。13時過ぎに到着したならばすっかり人が集まっていて、建物の周りを手をつないだ人たちがぐるりと取り囲んでいるような様子。その輪を辿って2階のデッキのような部分には、沢山の人と少なくない数の取材の人がいる様子。その場所に行って、その場所で話されていることを聞こうとする。


・福島から子どもも含む60人以上の人が来ているらしかった。そして文部科学省の学術政策局次長の人を前に「国の基準となっている『一年間の放射線量の上限/20msv』を撤回して欲しい」という意見を述べる。それはまったく当然の、ごく自然な、言うまでもない、お願いするようなことではないはずの意見だ。しかそそれに対して納得できるような、理屈の通った回答は得られない。押し問答のようなやり取りが続く。結局その、まったく当然の、ごく自然な意見は、少なくともその場では、聞き入れられることがなかった。つまりその基準が撤回されることはなかった。


・そのことが素朴に不思議だった。今も不思議である。だって不思議だ。例えば、発電のしくみについて意見を出し合うとか、資源の分配について考えようとか、そういう事柄とは完全に違う種類の現実がある。このままの状況では死ぬ子どもが出るから、そうならないためにできる限りのことをしよう。という声が広がらない。当たり前の気持ちが届かない。自分は「どこにどう広げて、そして届けるべきなのか」ということに関しては、わかっていない部分もある。「気になったから見に来た」だけといえば、それはそうなのだ。しかし状況を自分なりに考えて、絶対にこれがベストな現状ではないだろうと思っている。


・その後参議院議員会館の講堂に移動して、今日の報告と、福島から来ていた子どもを持つ方々の話を聞く。話をされた中のどなたかが「福島の子どものために集まって頂いてありがとうございました」と言われた。でもそれを聞いて自分は本当にどうしたらいいのかわからなくなったのだ。何も言うことがない。何重もの意味で、感謝なんてされるはずがない、と思ってしまう。だって、その災害の原因となっている施設は「東京」電力という名称の、紛れもなく、東京に住む自分のような人が電気を使った結果として動いている施設なのだ。本当なら呪われたって不思議ではない。しかし当然だけれども、そんな言葉はない。


・だから今は、自分の生活と、ある別の場所で起こっていること、そして今この場所で起こっていること、全体の状況をできる限り理解したい。そして自分や誰か(個人)の責任を問うのではなくて、可能なかぎり状況をよくすることを優先的に考えて行動することをしたい。別の場所で起こっていることを、できる限り想像して、そして感覚を完全に共有することはできないとしても、共通することを考えて、そしてそこからできることをしたい。できることは沢山あるはずなのだ。上(制度)からも下(人びとの意識)からも行動がしづらくなっているような状況でも、今よりも少しでも良い環境にいられるように、できることはあるはずなのだ。