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  映像研究

考えるためにまとめておく。

 
・5月2日の月曜日は世間的には黄金週間の中休みらしく登山の人で心なしか賑やかな高尾駅から都内へ向かう。いつだって京王線高尾駅のホームから見える風景に季節の変化を感じる。引っ越したばかりの頃はその山並みをずっと写していた。ある場所に愛着を持っていることについて考える。高尾や清瀬に愛着がある。荻窪にも少しある。新宿や渋谷の限られた一角にも愛着がある。よく行くお店にも愛着がある。通った学校にも(少しは)ある。そのようにして愛着があるポイントが点在した自分にとっての東京がぼんやりとある。ナショナリズムとはそういうことか。小沢健二という人が『うさぎ!』で「ネイション(くに)」と「ステイト(国家)」を区別してた上で「土地と土地の文化を愛することとしての『ナショナリズム』」と「国家を崇拝してその仕組みにしたがわせるものとしての『ステイティズム』」について書いていたことを思い出す。そして今この国家のある地域で起こっていることは「ナショナリズム」と「ステイティズム」が絡み合った結果なのかもしれない。



参議院議員会館で開かれている政府への交渉「<福島の子どもたちを放射能から守れ>」を傍聴?しに行く。先に着いていたT夫妻に事前に配布されていたプリントを分けてもらってそれに目を通しながら聞く。そもそもは<4月21日の最初の交渉を><USTREAMで見てから>どうにも理解し難いことが多すぎた。もっとこのことについて知りたいと思った。そしてだから27日には編集者のHさんに教えてもらって「<福島原発事故に関する公開質疑〜事態の見通しと対応策〜>」という会を聞きに行ってみた。そこでは事故の現状と避難の状況について話されたものの、普通の人の1年間の被爆の限度(20ミリシーベルト)については特に話はなく、そしてこの2日には当面の(国家としての)方針がわかるはずだった。



・まったくわからなかった。



・自分は途中から何がわからないのかもわからなくなってきた。「一般の人の1年間の被爆の限度は1ミリシーベルトであったのが20ミリシーベルトに引き上げられた」「子どもも大人も同じ基準である」「この原則では子どもも1年間に20ミリシーベルト被爆しても誰も何も責任を負うことがない」「その数値では発癌の可能性は圧倒的に増える」「そして今も『放射線管理区域』の6倍以上の基準で子どもは遊んでいる」ということが今も普通に許されていて、大丈夫と言われていることがどういうことなのか、どういう理由でそういうことになっているか、どうして1億3000万人のうち1億人くらいが気にしていないのか、わからなくなってきた。しかし当然だけれども交渉をしている6つの団体とその代表の方は極めて憤りつつも極めて冷静に質問を重ねて繰り返し要望を述べる。前半の厚生労働省の人と後半の文部科学省の人と原子力安全委員会の人の話す内容を聞き取って、そこから必要な質問をまた重ねる。



・そしてこの状況が起こっている理由のひとつに、政府が依拠している「国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告」というものがあるのならば、その言葉を整理して理解して、そしてその解釈と実施方法を質問することから交渉が動き始める。そしてその勧告は、放射線源が制御された状態になったとして/汚染地域が残るだろう/人びとがその地域を放棄せずに住みつづけることができるように/必要なあらゆる防護策を講じた場合は/1年間に1msv-20msvの参考レベルを参考にレベルを選択して/長期目標として年間1msvとすることを勧告する」というものなのだった。そしてしかしこの勧告を解釈(曲解?)した結果としてこの国家が放射線源は全く制御された状態でないのに(事故は収束していない)/積極的に住み続けたいかどうかわからないのに(色々な考え方の人がいるだろう)/必要なあらゆる防護策を講じていないのに(現在は「モニタリング=放射線量の測定」しかしていない)/1msv-20msvの参考レベルのいきなり最大値を示して(示してしまったならばそれが「許容量」とされるであろうことが予想されるのに)/内部被爆も全く考慮せずに(していない)/大人と子どもの放射線の感受性の違いも考慮せずに(していない)/圧倒的な被爆をさせ続けている」としている現状がわかった。そのことがわかっただけで自分としては充分だ。



・圧倒的に理解し難いことは圧倒的におかしなことだということがわかった。何故そうなっているのかはわからないけれれども、「何故そうなっているのか」を考えつつ、「何故そうなっているのか」を問いつめる交渉や要求は気にしつつ、自分はそれを変えるために、そして当面の状況に対応するために、やれることをやれる範囲でやろう。



・自分は「福島」という場所、そして今この出来事の起こっている場所にはいわゆる「縁もゆかりもない」のだった。だからその風景を想像することも難しいし、もしかしたらその場所は死ぬまで行かないかもしれない、自分と繋がりを感じることのないかもしれない場所なのだった。そしてまた自分は幸か不幸か(不幸なのかも)子どももいないし当面はそういった予定もないのだった。つまり自分はこの出来事に憤りを感じることに「共感」する条件なんてひとつもないのかもしれないのだった。しかしはっきりと「そういうことではないのだ」と思ってもいる。ある場所に住んでいること、食べたり食べられなかったりすること、そして生まれたり生んだりすること、そういうあらゆる「条件」を超えようとする種類の想像力が、どうしてもはたらいてしまうことがある。その想像力を前にしたならば、今まで考えられなかったことも考えられるようになる。