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  映像研究

カルチャーの濁流にまるで場違いな笹舟のような言葉を流す。

 
・22日火曜日。今日も業務だが朝から歯医者に行って午後から職場へ。とはいえ今週はほとんどやるべきことがないため基本的には待機&散らかったデスク周りや書類などを片づける。そのような雑務をしつつも、ついつい気になってmacbookを開きUSTREAMで「満月tv」をつけてしまったら、やはり今日も山口県上関町田ノ浦に原子力発電所を建設するための作業をしようとしている人と、それを止めさせようとしている人とのやり取りが流れてくる。職場なのでさすがにおおっぴらに見ることもできず、とりあえず画面を開いて様子を見つつ、音声は消してtwitterのタイムラインを読みつつ、気になったツイートをRTする。確か16時前後の段階で1700人くらいが見ていた。タイムラインもものすごい速度で流れゆく。そしてその中には当然(なのかどうなのかわからないけど)「必ずしも原子力発電所の建設に反対ではない人」というか「むしろ原子力発電所を作った方が良いのではないかという考えの人」もいて、タイムラインで流れながらも言い(書き)争いが起こりそうになる一幕も。そういう言葉に「おお」とか「えっ?」とか「うそ!」とか思いながらもどかしく過ぎゆく東京の夕刻。


・それにしてもさまざまな考えの人のさまざまな言葉が、タイムラインをほとんど毎秒流れてくる。それは例えば「建設に反対の考えを持っている人」の言葉であれば、「原発そのものの危険性を訴える」、「作業の手続きの不誠実さ(?)について考えを述べる」、また「このような争いが起こっているのに、いわゆる『マス・メディア』が全く報道しないことに苦言を呈する」などさまざまだ。一方「建設に賛成の考えを持っている人」の言葉もさまざまだが、そのさまざまな言葉を読むと、そのような考えの人がいるのはわかっているのだけれども、やっぱり何とも言えない、悲しい、虚しい、あるいは苛立った気持ちになる。「現実的に考えて原子力発電所は必要である」「現地の人は必ずしも反対ではない」「司法の判断がくだされているのだから反対すべきではない」というような「現実?路線」のようなものから、「作業の人だってやりたくてやってるんじゃないよ」的なグレーな意見もありつつも、しかし何と言うか、これは確実に「反対する人に対して反対する言葉」というものも少なからず流れてきていて、そういう「市民」とか「運動」とかいう雰囲気(というのが、確かにあるのだと思う)に対して、ほとんど反射的に、アレルギー反応のように、足もとをすくうためだけの、子どもの口喧嘩のような言葉を投げかける、そのような人の考えは、一体どのように理解すれば良いのか。


・そしてまたそれとも違う種類の言葉や態度がある。これは本当に、全くの、個人的な、主観的な考え、感覚ですけれども、自分が例えばtwitterでフォローし、またフォローされてる人の幾らかは、大学がきっかけの友人であったり、またその関係の知人であったりする。そしてそのタイムラインを見ている限り、端的に言って「美術大学出身であるとかそれに類する何かに属している、あるいはそういったいわゆる『クリエイティヴな』職場で働いている人たち」の、こういった「社会的な問題」に対する反応の冷たさったらない。静かに観ると書いて「静観」。おそらくそういった「カルチャーの人」の平日の昼間のタイムラインには「アートの話題」や「デザインの話題」が、きれいなiphoneに乗っかってきれいにつるっと流れているのだろう。あるいは「現代的な思想」とか「日本が誇るクールなコンテンツ」のトピックスなんかには目配せしてたりするのかもしれないし、もしかすると「エジプトの革命の話題」が、あるいは「リビアにも飛び火したデモの話題」が流れるかもしれない。しかしその中にあって「原子力発電所の話題」はあまりトレンディーではないのかもしれないのだった。そしてそういう「カルチャーの人」の冷静な態度、かつ空気を読んだ反応、それらは無意味であることを通り越して、むしろ有害であるというのが、(繰り返しますがこれは全く個人的な)今の自分の考えであったりする。


・だからこそせめてRTしてみようという気持ちもある。いかに「カルチャーの人」が静かに観ていようとも、あるいはそもそもそういう話題が流れてくるような源をフォローしてないのならば、なおさら自分が流してみようと思う。そこにはやっぱり少しの気恥ずかしさを伴うけれども。そしてもちろんちょっと落ち着いてみれば(落ち着いていなかった)自分の周りにも色々な人がいるのだ。「あえて口には出さないけれども原子力発電所には反対している人」や、自分と同じように「何となく気になって『ミツバチの羽音と地球の回転』を観てみて考え続けている人」だってきっといる。そしてそんな中で面白い動き(というのは不謹慎な意味ではなくて)をしているのは坂口恭平という人で、どうやら日曜日の夜から上関に行っていたということが「零塾」の日記を読んでわかった。そしてまさに「カルチャーの人」であるその人は、国家やインフラすら飛び越えてしまうアナーキーな部分を持っているという意味において、このような問題に対して個人的にはどっちに転んでもおかしくないと思っていたのだけれども、しかしその日記を読むと、自分なりの視点を加えた上で、しかしはっきりと「反対」の立場を表明している。そしてしかもその瞬間から自分が出来ることを探そうとすらしている。


・そういうタイミングで明日は『幸せの経済学』を観に行く。『ミツバチ』の鎌仲監督も話す。可能な限り知り、考えて、その結果出来ることをやる。