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  映像研究

こうして、秋休み(オータム・ヴァケーション)は終わるのだ。

 
・10月半ばから緩やかにつづいていた秋休み(オータム・ヴァケーション)はこの週末で終了。通常業務に復帰するとともに、気がつけばすでに年末進行・第一弾。寒いはずだ。だってもうじき初冬だもの。少しだけこの期間を振り返りつつ、あと二ヶ月(!)のことを構想しなければいけない。それにしても人は往々にして「長期的な休み」があるとどんなことだって出来る、と思い込んでしまうようなのだ。学生の夏休み的な感覚で休暇前に書き出した「箇条書き to do リスト」メモを書いた人は自分であって自分ではない。「外国語を勉強する。」しない。しないよ。だって日本語を話せれば生活できるのだもの。あらためて気がついたのは何かをやる動機は「憧れ」ではなくて「必要に迫られて」だということだ。「あってもなくてもよいけれどもあったら比較的良い」こと共のために人は何かをやらない。そうして食費を節約するという必要に迫られた結果、圧力鍋を使いまくった10月。ほどよく芋を蒸かす時間設定については身体で覚えた。



・世界一どうでもいい話として「携帯電話を機種変更するかどうか」について思いを巡らせていたりもする今日この頃。カシオ社から出ているG-SHOCK由来の携帯電話を使い始めてもうじき10年。5年ずつ2台を使ってきたのだけれども、先日「重要」と書かれた郵便物が送られ「あなたの携帯電話はもうじき使えなくなります」「尽きましてはこちらの機種などおすすめですが…」というお知らせを貰ったばかりなのだ。そのようなタイミングでこんなような新製品が発売される。そしたら変更するしかない。それにしてもなんて大仰なウェブ・サイトなのだろう。嫌いじゃないけどね。まぁ基本的にこちらはただ「落としても壊れず」「水に濡らしても大丈夫」な携帯電話、要はできる限り丈夫な携帯電話が使いたいだけなのだ。それを可能なかぎり長く使いたい。だってそのようにデザインできるのだから。デザインすれば良いじゃないか。別に薄っぺらくなくてもいいよ。



・というような小沢健二の『うさぎ!』に書かれていそうなことを、日々あらためて考えていたりもするのです。たとえばアウトドア・ブランドのバック・パックやウィンド・ブレーカーのようなものを買おうとするきっかけの一部には多分「一生使えるような、丈夫で、自分にしっくりくる物を買いたい」という気持ちがあると思うのだけれども、実際にそれを一生使われたのでは困る人がいるのだろう。(あるいはそれは回り回って自分も困るのかもしれないけれども)そうして雑誌には「今年買いたい『一生モノ』ベスト100」のような分裂した人が書いたようなキャッチ・コピーが現れるのだ。分裂しているよ、と言ってみた方が良いと思う。ちなみに『うさぎ!』について。新しい「子どもと昔話」の号の21話も相当に面白かった。今まさに「寝食をともにすること」を考えている最中だったから余計に面白かったところもある。「イヴァン・イリッチさん」なんていう名前が出てきたりしたところも含めて。「カウンター・カルチャー」や「悩める知識人」に対する冷静かつ優しい視点があるように思えたりもした。



・その『うさぎ!』を読んでいたりすると、あるいは『ひふみよ』というコンサートの朗読、ポエトリー・リーディングをぼんやり思い出したりすると、あるいは他にもこのところ読んでいる色々な書籍の影響も相まって、日本以外のあちこちの国に旅行に行ったりすることもきっと良いことがあるのだろうな、とかも思ったりする今日この頃。一般的な?世論??によれば「若者は海外旅行に興味がなくなってる」ということらしいのだけれども、それは多分「お金がない」ことも大きな理由なのだろう。行けるよ、意外と、しかも安いよ、ということになれば、一気に第何次かの海外旅行ブームが来るのではないか、しかもここ3年以内くらいに来るのではないか、という風説をまことしやかに流布してみよう。風説は恐ろしいのだ。それを聞きつけて煽られた旅行会社が次から次にデフレ・スパイラル的に格安チケットを発売するというシナリオ。「ソウルまで1980円」とかだったら普通行くだろう。あるいは「イースター島まで9800円」とかも行く。とりあえずモアイ像を見る。



・そんないつかとても自然に、あまりにも当たり前にやってくるだろう201X年を構想したりしてみると、色々な方針も決まってくるというものだ。そのような構想のために費やしたこの秋休みだったということにしよう。あとは何しろフェスティヴァルが始まるのだ。やることが沢山ある、タイフーンがカミングスーンする今。ようやく今に追いついた。