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  映像研究

2010年の10月になったところで、全く個人的な現状。

 
・タイトルの通り、静かに、確かに、季節は巡っている。そこでわざわざ「2010年の」と記すのは、そのように記さずに「植物の様子が」とか「山の色の変化の」とか「焚き火が恋しい季節になってきました」などと記せば、それは一体いつのこの季節なのか、ということがわからなくなってくるからなので、そして別にわからなくなることそれ自体は全く良いと思うのですが、何となく最近「今」に焦点を合わせていろいろ考えたり準備をしたりしているのだから、このような記述になっているのだと思われます。これは解釈。



・それでこの二週間ほどわりと読書をしている。あるいはDVDで映画を観ている。映画はほとんどが業務で必要とされている必修的な科目としての観賞なのだけれども、読書に関しては、最近書店で気になった本、ずっと気になっていて読んでいなかった本、もう既に読んでいてしばらく押し入れに眠っていた本、などなどを思いつくままに読んでいる。特に新書を読んでいる。新書最高。新書はわかりやすい。しかも安い。場所とらない。そんなわけでソファーの肘掛け部分には『社会学入門―人間と社会の未来 (岩波新書)』『ニッポンの思想 (講談社現代新書)』『ポストモダンの共産主義 はじめは悲劇として、二度めは笑劇として (ちくま新書)』『オーガニック革命 (集英社新書)』『寝ながら学べる構造主義 ((文春新書))』などの本が積まれているのです。あとはその横にずっと積まれているカイエ・ソバージュ的なものとか。



・読書とDVD観賞の合間に業務。そして業務終了後にはレクリエーションとしてのフットサル。人生二度目のフットサル。面白いといえば面白い。そしてその翌日には人生初のヨガ@近所の市民センターにて。インターネットにて偶然その情報を見つけたので、お誘い合わせの上ご近所に住むT夫妻とともに行ってみたのだった。しかしとうとうヨガだ。わかったことはあれはポーズももちろんだけれども呼吸が何より大切だということだ。あとは自分のからだが「硬い」こと。そして「自分の呼吸を観察して下さい」という生まれて初めての新しい日本語を聞く。目で見るもの以外のものを「観察」したことがない。ところで最近の個人的な関心事は、様々なところにある「ソフトなスピリチュアリティ」なのだったけれども、そこで「ヨガをやってみた」と言いだせば、それはもう「メタ」なのか「ネタ」なのか、はたまた「ベタ」なのか、という話になるのですけれども、それは「わからない」。解釈をしない。



・先週なかばには阿佐ヶ谷にて、久々に会ったHさんとSさんという一年半前に一緒にソウルに行ったトリオで会食。お互いの近況を話す。どういう話の流れなのかわからないけれども諸先輩方から「MRTRは海外とか行かない」「行った方が良いのでは」という提案?をいただき、全くここ最近同じことを考えていたものだから「実のところ非常に行きたいのです」「しかしどこから手を付けて良いのかわからないのです」という相談をする。「映画を観たいけど何を観たら良いのか教えて下さい」に等しい、根源的な質問に新書よりも丁寧に答えてくれた先輩方。前後の流れが不確かななりに、最終的な(暫定的な)結論として「とりあえずベトナムに行ってみてはどうか」という指南。なぜベトナムなのか。『ベトナムから遠く離れて』という映画は好きだが、あれはまさに「ベトナムに行かずしてベトナムを考える」というヌーヴェル・・・だか、ポスト・・・だか、そういったアレで、今はそういったアレとは全く逆の発想が求められている。遠く離れない。とりあえずベトナム料理は好きだ。そういえばタイ料理も好きです。考えてみれば嫌いな料理がない。



・そしてその会合のまた別の話題の中でさらっとHさんに「MRTRはポストモダン」と言われて、その話の流れの中でならばそうなのかもなぁとか思って、しかしまぁそれはそれでさておき、いずれにしてもそこで考えてしまったのは「ポストモダン」と「海外旅行に行かない」の間には少なからず関係があるのだろうなということ。そのことを薄々気がついていた以上に、もう少し確かなこととしてわかることが出来たような?気がする。「若者は海外旅行に行かなくなった」と風のようなメディアのような空気のようなもので聞いたような気がする。行けない(金銭的な理由から)っていうのもあるけれども、行かない、っていうのももちろんあるんだよな、という自分を含めた分析。これも解釈。