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  映像研究

行っていないシンポジウムからの新しいミーティング


第179回新宿セミナー@Kinokuniyaシンポジウム
『震災・原発と新たな社会運動』
会場|新宿・紀伊國屋ホール紀伊國屋書店新宿本店4階)


3.11以後、社会・政治・経済など、あらゆる領域の規範と価値観が根本的な問い直しが迫られている。
現代日本を代表する各分野の理論家が、規範と価値観の問い直しを通じて、新たなプロジェクトと社会運動の指針を探る、画期をなすシンポジウム。


出演者:磯崎新(建築家)・大澤真幸社会学者)・山口二郎政治学者)・柄谷行人(評論家)・いとうせいこう(マルチ表現者


・上記のシンポジウムには行っていない。とても興味があったのだけれども日曜日の通常の業務があったのだから行けなかった。そしてまた知人友人が早々と聴きに行くよと宣言していたので、わざわ自分が聴きに行かなくてもよいかとも思った。身近な知人を通じて間接的にシンポジウムのレポートを聞くのもそれはそれで面白い。特に今回のような内容であれば「話された(らしい)内容それ自体」を知ることよりも、その話をきっかけにして、自分や自分のまわりの人が「何かを話し出す」ことの方が重要だし面白い。面白い且つお得。そして大澤真幸という人の『社会は絶えず夢を見ている』という本がとても面白く、さらに面白いのかどうかわからないなりに今は柄谷行人という人の『世界史の構造』を読んでいる。だからきっとそこで話される事柄は、今自分が考えている事柄と結ばれるのであろうと思う。そしてその理解を他の人と共有あるいは交換できるかもしれないということは面白い。


・業務終了後に会場だった紀伊國屋ホールの裏手にあるジャズ喫茶にてアフター・シンポジウム的喫茶中だった、T夫妻、TMさん、J先輩と合流。どんなだった?というこちらの問いに「うーん、これは聴かなくて損したね」という感じで色々と教えてもらう。「資本主義の終わり」「革命」「新しい共同体」という種類のワードが飛び交う新宿はまだ夕方。間接的な情報であるものの柄谷行人という人の第一声は「今日は『デモに行こう』ということだけ言いに来た」だったとか、会場には浅田彰という人も来ていて何やら話をした、などの「ポスト・モダンのドリーム・チーム」的話題も興味深いけれども、とりあえず今回のテーマ(?)は『新たな社会運動』ということだったこともあって、聴きに行った4人は「今回のことがあってもデモに行ったりしない/特に年長世代の方々とどのようなコミュニケーションが可能かどうか」というテーマで、ミニマルなシンポジウムを開催していた。


・その後J先輩とは別れて三鷹台へ移動。SMDくんの事務所にて本日のメイン・トピックスは「新しいミーティングについてのミーティング」だった。ドリーミーなシンポジウムの加速度をカタパルト的に利用した、非常に理念的な、限りなくしゃべり場に近いトーク。昨年11月に行ってみたDIY的フェスティヴァルの未来系についての相談をする。人が集まって限られた時間を/空間を過ごす。その可能性について考えてみた結果としての昨年のあのアクティヴィティのことを、個人的には3月11日以降あまり考えないようにしていた。起こった出来事や起こりつづける出来事と既に存在している(存在した)アクティヴィティと結びつけるよりも、考えた方が良さそうなことは別にあった。というか別のことを考えていた。それでもまた色々なことを考えてみた結果として、身近な人たちと意見を交換した結果として、今はまた何か楽しいことをやれないものだろうかと構想している。


・その場にいた6人で意見交換しながら(ビールを飲みつつ作ってもらった焼きそばを食べながら)途中までは議事録的なメモを取っていたのだけれどもすぐに諦めてしまった。はじめは労働や貨幣や専門性についても話していたような気がする。しかしそれらの話題はあっという間に飛び去ってしまって、広い意味での「共同体」について話していた。それは普通に身近なコミュニケーションの話でもあった。誰かに向けて「話しかける」ことについて話してもいた。そしてそれは「表現」についての事柄でもあるし、そのことから「芸術表現というプロフェッショナル」の話題にもなる。そして最終的には「地域性」「地元意識」「所属意識」「ローカリゼーション」のような話題にもなった。「ある場所について特別な気持ちを持っていること」をきっかけとしてコミュニケーションすることができないか。あるいはそのようなトピックスであれば多くの人と意見を交換するきっかけになるではないかという、これは仮説。そのことを宿題として24時半に解散。自分にとって特別な場所である高尾の夜道を歩きながら帰宅。雨上がりの夜道。