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  映像研究

迫りくる溢れ出しそうな10年代を待ちながら走り抜ける備忘録その3

 
・迫りくるものから逃げながら、溢れ出しそうなものを押しとどめながら、時間が過ぎるのを恐れながら、しかし同時に待ちながら、この年末の日々は過ぎてゆく。散文であることがコンセプトであるならば、ある種過剰にその「散らばってる文章」というものをイメージしつつ綴らなくてはならないが、本当にただの散文であるのならば、また新しい言葉で備忘録を書こう。ところで何よりも、テレビに出たこともないのに「プライベート」という言葉を口にする人間が嫌いだ。というような言葉を記す自分は誰なのだろうかと考えてみたならば、その問うこと自体には意味があるような気がする。テレビを見るのは嫌いではありませんが、テレビは家に置かないで既に四年が経ちました。



・年末に自分の家で二つの面白い集まりを催せたことが非常に意義あることだった。19日には大学の(大)先輩らを招いての少人数であるものの濃密な(焚火系)鍋パーティー。黙っていると自分よりも歳の若い知り合いばかりが増えていくような自分にとって、このような集まりは本当に貴重だ。そして21日は山部プレゼンツ・部長の生誕30周年を祝いながら忘年しつつ、来るべき2010年代のアウトドア・アクティヴィティについて意見を交わし合うナイト。部長を祝うべく総勢10名が大集合。完全にキャパ越えしつつも「手巻き寿司」と「鍋」という二大ソウル(メイト)フードによって場のテンションは保たれていたと思う。そして部長のB・P(バースディ・プレゼント)は「鍬」。土を耕すことがこれからますます、必要に迫られつつ、あるいは単にトレンディになることを見越してのチョイス。ケーキも食べる。



・そうしてイベントは続くよ、どこまでも。23日の本日は某小金井にあります、個人的見解では(西)東京一のオシャレスポットである古道具店にて開催されてた「クリスマス・パーティー」という名の新世代・歳末助け合い運動に古書店「&文庫」として参加する。春のマーケットに続き二度目の出店であった今回は、止むに止まれぬ業務によって途中抜けたりしたものの、フェスティヴァルの全容を理解しつつ参加できたという意味では非常に良かったと思う。そして今回も「緊張感のある空間」とは何かについて多いに考えさせられた。テンションのひとつの種類としての「緊張感」、またそれを写真に写すというのは難しい。



・すぐ先の予定、その予定が楽しみ、あるいは別の予定はなかなか大変だ。そして来年のことだって考える。来年の楽しみなこと、来年の別な楽しみでもないこと。あたりまえの言葉で日々の生活を描写したのならば、それはまるで全然びっくりするくらい中味のない文章であって、全く意図しなかったので驚く。日々を面白いものとして描き出すための言葉があり、そのひとつの方法としての細部の描写があるならば、それを忘れてしまうような(忙しい、って言いたくないなぁ)生活の中では、言葉による表現はどのようになっていくのでしょうか。やっぱりつぶやくのだろうか。