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  映像研究

迫りくる溢れ出しそうな10年代を待ちながら走り抜ける備忘録その2

 
・あっという間に年末が年末の顔をして駆け抜けてゆく。そのような日々に書き記す備忘録。あるいは書き記す前に忘れて行ってしまうような些末な出来事。その集まり。そしてつぶやき。今年の忘年及び忘我シーズンの極私的なエンターテインメントに関しては、今年のトレンドであるような「家飲み(からだの力が抜けるほどものすごくゆるい言葉ですね)」的なライフ・スタイルを反映したりしなかったりした結果「家忘年会」が非常に盛んになっております。高尾de忘年会。わいわい集まって鍋などをするのです。そして何となく今年あったトピックスや、重大/10大ニュース的なものについて会話を交わしたりなんかするのだ。そして忘年及び忘我してゆく。楽しいなぁ。


・「家忘年会」を提唱するほど外食に魅力がない、のは極めて一般的なトレンドかつ、この数年の自分のライフ・スタイルのモードだとしても、ではもう少しそのことを拡大して考えてみて、消費すること、物を買うこと自体に対しても同じようであるかというと、少し前までは全くそうであった(お金を払って物を購入するということは今完全に格好悪いなぁ/あるいはそのような消費行動こそがマクロな経済を結局ややこしくしているのかもなぁ/だからちっとも買い物をしたくないなぁ)であったのですけれども、どうしたわけかこの一ヶ月ほどは、欲しい物が溢れてしまっていて自分でも不思議だ。もちろん、そこに一定の躊躇いはあるのだし、そもそもお金なんてないのだからそれらを片っ端から購入するようなことはしないまでも、それでも常に頭のどこかに「新しく物を買うイメージ」がある。


・あれは11月のおしまいにイメージ・モンスターと呼ばれるデジタル・カメラを購入して以来だろうか。今まで何となく法の目をかいくぐっていた(合法ですけれども)コンピュータのソフト問題について、ちゃんと可能性を探ってみた結果、自分の職場でも個人用にアカデミック版のソフトが購入できるとわかってからは、もはやそれを搭載した新しいノート・パソコンを購入することで頭がいっぱいだし、完全に遅ればせながら最近知った「USTREAM」というストリーミングのサーヴィスを使って何かできないだろうか、主に山で、と考えてみたならば「iphone」という、一生自分には縁がないのだろうな、と思っていたデジタル・ガジェットでさえも、それを購入する可能性がでてくる。気づけばリンゴを購入する話ばっかりで、ある意味では必要な道具であるとはいえ、やや微妙だ。


・しかしやっぱり同時に「物を買わないこと」が持っている楽しいイメージだって常に自分には溢れている。去年10年ぶりくらいに実家から引っ張り出してきて着ていた(そして90年代の文化的遺産として物珍しがられた)ダッフルコートは、この09-10AWには、あらゆるセレクト的ショップのウィンドウに飾られている。それらを見つつ、自分のダッフルコートは家族から譲り受けたこともあり微妙にサイズが大きかったのだから、新しいものを購入しようかなぁと思っていたのですけれども、結局近所の「洋服の修理屋さん」(これが正式な名称で/そのままじゃないか/でも素晴らしいネーミングだなぁ)に丈詰めをお願いすることにして、今それが出来上がるのをほくほくしながら待っている。物を直して使うこと、あるいは別の状況では、物を他の人と共有すること、それらが持っているイメージはいつだって溢れるのだという、この今。