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  映像研究

山に登る晴れた冬の初めの木曜日の5人、太陽の軌道とともに歩く。

 
・12月10日(木)。日頃の行ないの良さ的な理由からなのか、週間予報がミラクルな回復を見せた冬の初めの木曜日。今回参加できなかったSメンバー雨男説を提唱しながら(完全に濡れ衣)、意気揚々と早朝から私たちは山の方に向かう。中央ラインを奥多摩方面に下りに下って「鳩の巣」駅にて下車。駅から集落を抜けて歩き始めたならばすぐに山道。川苔山に登る。川乗山と表記したりもするようです。去年の春に始めての単独行で登ったり、今年の春に山菜狩りに途中まで登ったりしたものの、今回の<鳩の巣〜川乗山〜奥多摩>のコースは初めてだ。冬の奥多摩はしんとしていて良い。高尾ほどざわざわしていないし、かといって雪が降らないのだから(真冬は降るのかも)「冬山然」ともしていない。ほどよく「しん」としている。そしてその静かな場所に我々は、山の方から考えればまるで無神経に踏み込むだろう。ざくざく歩いて写真を取り散らかしたり、わいわい騒いで集合写真を撮影したり、頂上でラーメンを茹でて食べ始めたり、何故か「せいろ」を持ち出して天津を蒸したりする輩もいないとは言いきれない(いた)。


・それでも歩いているときには時々妙に静かな気持ちで、少しぼやっとしながらも色々なものを見ながら歩いてるような、そういう後からは思い出せないような感触を持った時間が確かにあったはずなのだ。はずなのだけれども思い出せないのだから、それは写真を見返しながら少しだけ思ったり、あるいはまた次に山に登った時に、まさに登り始めてしばらくしてふと何か例えば樹木的なものを見上げたりするような時に、思い出したりすることもある(思い出さないこともあるだろう/思いもしないことの方が多いのだろう)。朝日とともに登り始めて、薄い夕闇が迫ってくる前には下山。新しいカメラのテクノロジー的な部分に翻弄されながら(言い訳)、それでも時々シャッターを押しながら歩く。