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  映像研究

記録の中の記憶、光と音と爆発。

 








秩父夜祭から早くも4日が過ぎた。12月の4日はあっという間だ。そして4日が過ぎた今、去年とほとんど同様に映像で記録した花火を見る。異なるのは去年は「xacti」の「.mp4」で記録したのに対して、今年は「canon 7D」の「.mov」で記録したということだ。同じことをしようとしてもその結果として、道具が違ってしまうということもある。しかしその2つの記録する道具の間に、微妙なボタンの押し加減以上にどのような違いがあるのか、実はまったくわからない。わかるわけないじゃないかと思う。画質が違うということはわかる。解像度が高い映像。細かい火の粉や煙まで見える、ように思われる映像。撮影された場所や出来事を想起するためのきっかけとしての映像、あるいは撮影された場所や出来事とは関係なく、その記録自体がうっとりとする(面白いでもいいのですけれども)と思われるような映像。そのどちらでもあり、そのどちらかだけではない映像、のようなことについて考えたならば、祭の花火がそれ自体超絶に面白い出来事であるということは、それはそれとして、写すものは何でも良いのです。何でも良いなりに、しかし光と音の極端な現象としての爆発は、かなり良い。