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  映像研究

業務の週末に、泣きそうなほど強力なイメージから何かを考える。

 
・金土日月と連続的に業務。一般に言われるところの(言われているんですよね?)「シルバー・ウィーク」とやらも何もあったもんじゃないけれども、普段の日常が(定年退職後の趣味のごとく)ある種のシルバーなスケジュールで行動している身としては、労働すべきときくらい労働してもいいだろうと強く思う。そんなわけでゆるやかに、時に忙しなく労働。そのような労働の合間に本屋にて目にした今回の号の『ku:nel』を立ち読んで震えて購入。表紙の「ブーツが並んだ写真」から「森のキッチン」「きのこ」「縄文土器」など、すべてが煌めきすぎた特集の奇跡の一冊で、そのあまりのクオリティに電車の中で読んでいて軽く涙ぐんでしまう。



・この数年「本当に食べたいものを食べて楽しい時間を過ごすための『アーヴァン・キャンプ』」のようなイベントを実践している自分にとっては、例えばあの「森のキッチン」の写真、あれがどれほどの努力と強いイメージを持つことによって撮ることができた写真群であるのかを想像することができる。もちろん『ku:nel』をはじめとした、いわゆる「くらし系?の雑誌」のようなものは大体にしてそれを見せないように巧妙に演出されているのだとしても、その「イメージ」があまりにも強力であった場合、そこから溢れ出して伝わってしまうものがある。



・いつでも誰もが「やろうと思えばやれるかもしれない」ような、生活の中での「ちょっと良いかんじ」の空間やシチュエーションを作りながらも、もしかするとそれは絶対に辿り着けない「ユートピア」なのかもしれないというようなこと。そういう意味では、そこで目にするイメージは、ある種の「厳しさ」をもって演出された、抽象化されたライフスタイルだと言える。それは「アート」でもなく「ドキュメント」とも違った、「(虚構としての)アクティヴィティの記録」とでも呼ぶより他にない、何かではないのだろうかと思う。そしてあらゆるサブカルチャー、アニメやゲームのようなものも/こそが、思考の対象、または根拠になっているような現在に、むしろそのようなものから一番遠いとされている「くらし系的なもの」から考えられることがあるのではないかという予感がある。