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  映像研究

芳香の秋、ブロンズ・セイントの秋、怪物のような言葉を放つ秋。

 
・香る秋。家に帰ると香るのはかりんの実。実家にあったものをひとつ持ち帰って芳香剤のようなものとしてして使っているのです。そしてまた香るのは珈琲を入れた後の粉。こちらは脱臭剤として使っているのです。それらを両立させて良いかんじなのかどうかは不明です。



・そして最近は主に山登り以外のアウトドア・アクティヴィティに忙しい秋。一般的にそのようなことを人は「忙しい」とは言わないのでしょう。それを充分に了解しつつも、しかし先週の山部・焚き火パーティーに始まり、今後のスケジュールを見てみれば、週後半の業務を済ませた後は月曜日火曜日と毎年恒例で四年目となった「アーヴァン・キャンプ2009」があり、翌水曜日は西東京随一のカレーの名店I・Fが協賛?のハイキングat奥多摩へ。そしてまた週後半の業務を挟んで、来週半ばには平日隊の焚き火ING(タキヴィング)だって控えている。ゴールドでもシルバーでもない私的なレジャー週間。それをここではブロンズ・ウィークと呼ぼう。あるいはそれを行う人をブロンズ・聖(セイント)と。そしてそれは自分にとってはただの「レジャー」ではないのだから、目の前にあるアクティヴィティでしか経験できない事柄に対して、最大限のパフォーマンスをしようと思う。



・昨日はちょっと業務に必要な調べものがあり図書館へ行ったのだけれども、探していたものは全然見つからず結局近くの古道具屋にてキャンドル用のランタンなんていう意味の分からないものを購入していたのでした(安かったので)。そしてしかし写真を撮っている。歩きながら写真を撮るのはなぜか毎年秋であるように思う。写真を撮りながらしかし動く映像のことを考えている。谷川俊太郎寺山修司のビデオレターのような映像、あれは送る相手が決まっていたことによって成立するような種類の映像メディアを使ったメッセージだったけれども、では宛先がないままに撮影される映像の日記のようなもの、映像の詩のようなものは、今どこにあるのだろうと考えれば、それはウェブのなかにあるとも言えるしないとも言える。このところどうにも気になるのはデジタル一眼で撮影された映像の解像度の高さだ。例えばcanonの7Dというカメラは「イメージ・モンスター」という愛称(?)がついているらしいけれども、そのようなモンスターで撮影される日記や詩もあるのだろうか。怪物のような言葉があるのだろうか。