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  映像研究

sightseeingとしてのMt.Takao/男子高生というものになってみたい

 
・すっかり晴れて爽やかすぎる五月は土曜日。日常的業務は夕方からだったものの、早起きしてリュックサックに荷物を詰めて出かけるのは、友人O君カップル(夏に結婚予定)が高尾山へ遊びにくるからで、そのような休日に声をかけられる自分は、高尾山におけるシェルパ的な存在だと良いなと思う。それにしたって素晴らしい人出の高尾山口でO君たちを待っている間には「マウンテン・ファッションチェック」に勤しむ。勝手な想像だと「カジュアルというよりはスポーティーなアイテムが求められていることはわかっているものの、今ひとつピッタリくるものが見つからなかった結果としての『何となくのNIKE』」が男女ともやたらと多いように感じた。それが駄目とかそういったことではなく「高尾山」という場所が一般的にどのように捉えられているのかがよくわかったように思ったのでした。そのようにして観光地は実に色々なことを教えてくれる。


・O君&Jちゃんと合流して、登りは「6号路」で歩くことにする。沢を歩くような道なものだから、昨日まで降っていた雨の影響がやや心配だったものの、実際のところ全く問題なく極めて歩き易し。しかしやはり水量は多めで、水の音を聴きながら歩く感覚は嬉しい。湿った土や光を受けた植物の発色の良い緑色を見ながら歩く。まだ朝の気配が残った空間は、様々な植物(や動物)の存在が現れたばかりという印象があって、歩く人の多さ以上に何だか騒がしいようにも感じる。立ち止まっても汗が流れ続ける陽気でも、さすがに頂上近くなると風は少し冷たい。頂上についたならばJちゃんお手製のお弁当に舌鼓を打つ。おにぎりも美味いし生野菜というのも新鮮(洒落ではなく)で満ち足りた山の上のランチタイム。調子に乗ってビール、そして乗りに乗ってアイス。山部ではありえないやんちゃ風味も許されてしまうのは、ここが「山」であると同時に「観光地」だからだと思う。


・そして一息つけば下り。下りは緩やかなアップダウンを繰り返す「稲荷山コース」を歩いてみる。木の先の葉っぱの隙間、木漏れ日に見とれているうちに太陽が傾きかけたならば、強い西からの光が踏み固められた山道に当たって強いコントラストとなる。そんな地面を見ているだけでもすっかり時間は過ぎてしまう。のだから時計以上に本当にあっという間の下山でしばらくぼんやりとする。そのせいか帰りの上りの京王線では三人揃って急速に睡眠。途中で二人は下車して自分は新宿へ向かう。登山をして、ビールなど飲み、その後の業務。夢みたいに色々な種類の光とか影とかを見た数時間はこうして終わる。





















・電車の中で読んでいたのは先日某古書店の均一コーナーで発見した『男子高生のための文章図鑑』という本。筑摩書房から出ている「高校生シリーズ(?)」は高校生には勿体ないんじゃないかなぁといつも思うけれども、この本に関してはちょっとまた事情が違うようにも思う。とりあえず帯の「ハックルベリーに負けるな!」っていうのがもう既に意味がわからない。ページをめくると、吉増剛造という詩人の有名な「顔に刺青できるか、きみは!」で始まり、高橋悠治という音楽家のハードコアかつポエティックな音楽概論・序説「かんがえのはじまり」へ。その後も中島らもという人と橋本治という人などにオルタナ方面へ誘惑されつつ、松本圭二という人の「ロング・リリイフ」に唾を吐きかけられたりしながら(比喩です)、しかし武田百合子という人の「日々雑記」に癒されたりもするソウルフルな展開。その後も「仕事」というテーマの項目なのにも関わらず村上春樹という人の主夫生活を紹介したかと思えば、「会話」というテーマで山田花子という人の漫画を掲載するあたりは、もう本当にわけがわからない。


・この本は一体「男子高生」をどうすることが目的なのでしょうか。サブカルエリートに育てたいのか、あるいはとりあえずドロップアウトさせたいのか。いずれにしたってなかなかに挑戦的な試みだなぁと思って「いいなぁ今の高校生はこんなオシャレな副読本があって…」と思って、出版された年を見てみたならば「1993年」と書かれていて、内容にも増して驚く。1993年っていえば自分はまだ高校生ですらなく、どうしようもない連ドラとかを全部ビデオに録ってた頃ですよ。その頃にもしもこの本を手に取っていたら……しかしそれは、きっとどこにも引っかかれなかっただろうなぁと思って、むしろ今こそ自分は、ハックルベリーに負けない男子高生的な何かを目指したいなと思ったり、しないこともありません。