&

  映像研究

雨ときどき晴れのフライディ、今週購入した書籍、山と言葉とイメージ

 
・ちょっとなかなかここしばらく降り続く五月雨の金曜日。午前中には軽く雷鳴が響く。響いたことから去年の夏の「ゲリラ豪雨」だって軽くフラッシュ・バックする。あれは相当に相当な出来事だったなぁ。さて、今年の夏は一体どのような天候の季節になるのでしょうか。個人的には誰もが健康で過ごせる限りにおいて、猛暑あるいは酷暑の到来を待望しております。


・昼前に家を出る備忘録。そして立川で途中下車してフロム中武(青春の響きだなぁ)の古書市に行ってみた備忘録。コンパクトにまとまった会場を見回して「こりゃ20分くらいで見られるかな」と思ったら、細かいあれやこれやの出現でとんでもなく充実した小一時間を過ごしてしまう。思わず職場に「遅れます」の電話(駄目)。通りに出るとすっかり晴れ。しかしその晴れ間は一瞬だけのものだった。しかしその一瞬だけの晴れ間に見えた駅前の光景で何かのスイッチが入ってしまって、荒ぶる気持ちを抑えられず、とりあえず目についたビックカメラのデジカメコーナーをパトロール。思わず職場に「更に遅れます」の電話(絶対駄目)。



・そのようにして今週購入した書籍などが今、コンピュータの右下、アンプの周辺に積まれておるのであります。
算私語録 (〔その1〕) (朝日文庫)安野光雅
隠喩としての病いスーザン・ソンタグ
リトル・チルドレン (ちくま文庫)ウィリアム・サローヤン吉田ルイ子
続 街並みの美学 (同時代ライブラリー)芦原義信
檜原村紀聞―その風土と人間 (平凡社ライブラリー)』瓜生卓造
どくろ杯 (中公文庫)金子光晴
山のパンセ (集英社文庫)串田孫一
山の眼玉 (平凡社ライブラリー)畦地梅太郎
ドイツの景観都市―水と緑のまちづくり』飯田実
ゲストハウスに住もう!?TOKYO非定住生活』今一生
正解ご無用イッセー尾形
もう会えない?野生動物探見記』中野美鹿
少年動物誌 (福音館文庫 ノンフィクション)河合雅雄
だれが「音楽」を殺すのか? (NT2X)津田大介
書斎の小道具たち―天文博士のとても私的な文房具考 (1982年) (Century press)』堀源一郎
白いおうむの森―童話集安房直子
童話集 銀のくじゃく安房直子
月世界探険 (タンタンの冒険)』エルジェ/川口恵子訳
エコロジー (FOR BEGINNERSシリーズ イラスト版オリジナル 14)』スティヴン・クロール ウィリアム・ランキン/玉村和子訳



・業務帰りの電車の中では、畦地梅太郎の『山の眼玉 (平凡社ライブラリー)』を一気に読んでしまった。基本的に自分はスーパー現代的な文章でなければ(すらすらっと/あるいはじっくりと)読むことが辛くなったりしてしまうような種類の人間なのだけれども(正直物語は本当に難しい)、そんな中で「山」に関するものだけはほとんど例外的に読めてしまう。不思議だけれどもその理由を考えてみれば、山や自然に関する文章の多くが(特に古くて写真を伴わない文章は)風景を想像させることをひとつの目的とした、非常に端的な文章であるということが挙げられると思うのです。そしてまた別の理由は、山は今もその場所に(ほとんど同じようにして)あり続けているという意味で、今の自分も文章を書いた人の体験を共有することができるということが大きいのではないでしょうか。例えば山小屋のディテールなんかはもちろん全然変わっていると思うけれども、どこどこの山からどっちの方角へ尾根を歩く…なんていう件りには、「あぁ、そこらへんは確かにそのようだよなぁ」とか思いつつ読めたりもするのです。そしてこれは『山の眼玉』に丁度数日前に自分も訪れた「雲取山」に関する記述があったことから考えたことでもあります。


・そのようにして文章の中の場所を一緒に遊び歩いた後で、また別の楽しみ方としてその本に書かれた言葉とイメージの独特の「かんじ」それ自体を思う。絵ではなくて版画だからこそ「イメージを捉えなおすような作業」があり、そのことで「山に登る気持ちを表現しようとしている」という、あとがきに書かれていた事柄もとても興味深い。そしてそれは恐らくは記録メディアの発展とかとは多少ずれたところで発生した「最先端の言葉とイメージ」なのかもしれないと思ったりもする。デジタル写真(や時にデジタルムービー)とウェブログ的な文章によって「山」というモチーフが表現されるようになるとき、そこにある(あり続ける)モチーフは、一体どのような「かんじ」で伝わるのだろう。それはまったく違う「かんじ」であるような気もするし、けっこう似たような「かんじ」であるような気もする。