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  映像研究

雨のサーズディ、アナーキーな暖房

 
・雨は降る。しとしと降る。ウェンズディの次はサーズディ。プレ梅雨的なかんじで、おう、臨むところじゃないかというかんじのこれはつまり「雨音備忘録」。


・ランチの時間にあわせて某小金井のカレー店へ。先日のマーケットの写真をまとめたメディアを渡したりしつつも、この日の「マトンキーマカレー」はヤバすぎた。あんなにも人間の意識をスイッチするような料理を作れるなんて、KJ君は本当に凄いなぁとラッシーを飲みつつデザートのチャイアイスを食べつつしばし惚ける。その後休みの時間を利用してマーケット会場でもあった古道具屋さんへもメディアを渡しに行く。マーケット時に横目でちらりと狙っていた「山にワインを持って行ったりするのにもピッタリ、のU.L(ウルトラ・ライト)なアルミの水筒」と「おうちでカフェ気分でコーヒーを飲むのに丁度良さそうなきれいな白い器」を購入。満足。1200円。カレー店の本棚『&文庫』の増設プランなども相談したりしつつ、雨の午後はのんびりと過ぎる。


・その後吉祥寺で断髪、じゃなかった散髪。同い年の美容師さんとはかれこれ4年くらいの顔見知りだが「山登りと読書が好き」ということ以外の個人情報が微妙に微妙なのが何か面白いといつも思う。話の中でちらりと出る「写真を撮ったりすることも『も』あります」に対して「『も』ってどういうことですか?」っていい加減聞かれるんじゃないかと思ってヒヤヒヤしながらの断髪、じゃなかった散髪はスリリングでもあります。ばっさり切ってもらって、元ノルディックスキー選手で今は国会議員のようなかんじになる(イメージです)。初夏ですしねやっぱり。美容師さんに教えてもらった新進気鋭系(?)古書店「さんかく」などを覗きつつ散歩to散歩。帰りの中央ライン下りはミラクルな混み様でややげんなりする。



・家に帰って買ったものを整理。買っておいてあるものも整理。読書。微妙に寒いのでアラディン・ストーヴに点火。エア・コンディショナーのない部屋に住むようになってわからないのは「どのタイミングでストーブを押し入れにしまえばよいのか」ということです。だって5月だって微妙に寒い日はそりゃあるもんな。少なくとも今残っている灯油を使い切るまでは部屋に出しておこう、みたいなこともエア・コンディショナーとは多少事情が違ってくる。ちなみにこの冬我が家では4回灯油を買いました。細かい端数までは備忘録していないのだけれども(していたかったなぁ)、確か20リットルのタンクで最初のときから「2500円」>「1500円」>「1800円」>「1200円」みたいなかんじだったと思う。電気と違って極端に値段が変化したところが2008-09秋冬っぽいエピソードとしてちょっと面白いと思った。


・ひと冬にひとりの人間が暖まるために必要な灯油の値段は7000円ちょっと。これは高いのか、高くはないのか。考える。そしてこのご時世にエア・コンディショナーではなく石油ストーブを使うということは一体どのようなことなのか。唐突だけれどもアウトドア関係に著書の多い田渕義雄という人は、雑誌スペクテイターのインタビューで「薪ストーブはアナーキーだ」と言っている。「電力会社と関わりなく、データもない」からだと。個人的にこの考察(アイディア)は物凄く面白いと思う。「アナーキー」っていうことを「安全ピンを耳にさして街をうろうろすること(いつの時代だ)」とも「何やったっていいじゃん的なノリでディ・トレーディングに勤しむこと(このアイディアはそれはそれで興味深いけれども)」とも違った、システムに依存しない結果、向かうのがシンプルで健康的な生活であるとするというところが良いと思う。


・もちろん現状で「薪ストーブ」は「ランドクルーザー」とかとセットになったある種の「成功の象徴」であることも否めないけれど(だから全然自分にとってはリアリティがない)、そういう付加価値を取っ払ったところで、そのものの意味を考えてみると立ち上がる発想だってきっとある。…とかなんとか考えて「オール電化よりはむしろ石油の方がエコ」っていう仮説を立てて実験してみたり、「今焚き火で料理をすることがめちゃオシャレだよ」っていう情報をむやみに流してみたり(もちろん自分もやりますよ)、そういうことをもっともっとしていかなくちゃいけない。生活の中で可能な発想と実験を繰り返す。すべての本は多分そのためのインスピレーションだ。しかし、暖房はそのようだとして「冷房」はどうしたら良いのだろう。「アナーキーな冷房」のアイディアを急募。行水?