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  映像研究

雨のウェンズディ

 
・ある雨の山から下りた水曜日。テントを干しそびれて何となくぼんやりする水曜日(一応GW)。そして壊れかけたワーゲンのボンネットに腰掛けたくなる水曜日。KA・RA・O・KEに行ったりすると「雨」を題材にしたポップミュージックの数に軽く驚いたりしますが、個人的に「あぁ〜これはこの曲は、確かにもう降ってるよね」っていうのは、大瀧詠一『雨のウェンズディ』の他にはユーミンの『雨のステイション』に奥田民生の『海猫』などなど。それにしても言葉と音楽で情景をズバリ思い描かけたり、身体感覚を刺激するのってやっぱり全然凄いなぁ(超普通の感想だ)。そしてこういう曲に関してはライブとかではなくてCDやレコードとしてパッケージされることで完成されているかんじも良いと思う。



・そのようにぼんやりしながらも、せっかくの休日なので八王子の古書店と図書館、その他諸々系ウィンドウ(ノン)ショッピング(この場合「無印」や「ユニクロ」などを指す)する。朝ご飯を食べたにもかかわらず、道すがら突然異常な空腹を感じてコンビニエンス・ストアで、おにぎり2つと焼きそばパンとチョコレートを購入し勢いよく食べる。何か足りないなーと思いふらっとカレー屋でカレーも食べる。これはきっと昨日までの山登りの「常に行動食を食べる」状態にからだが適応していたからだと思われます。恐ろしいですな、山。



・雑誌について勉強しなおしたい今日この頃、先月は偶然手に取った北山耕平という人の本をパラパラしていたことなどもあって、今まで何となくスルーしてきた、という程のことはないけれども、何となく「あ〜文化系の人ってことになってると、そういうとこも押さえとかなきゃいけないんだよね、わかってるんだけどさぁ…」的な態度だった(?)「ワンダーランド」や「宝島」、あるいは「初期・POPEYE」の意義みたいなものも考えてみたいところではあります。一応。そんなこともあって古書店で手に取ったのは、植草甚一ワンダー植草・甚一ランド』、そして「山って雑誌ってったらやっぱ『アルプ』だよなぁ」というマインドから、串田孫一思索と行為 (1974年)』も購入。その他諸々購入。そしてそれらを喫茶店にでも入って読もうかと思ったら、すっかり夜だ。



・帰りに新刊書店で目に留まった雑誌『朝日ジャーナル』も何となく購入。表紙に踊る「緊急増刊」「怒りの復活」「崩壊寸前」の文字と、切れそうなロープのちょっと懐かしいテイストのイラストに「そそそんなにヤバいのか」と思って購入。知のアイドルたちの同窓会にも触発されて購入。まだ全部読めてないなりに真っ先に読んでしまった堀江貴文という人と浅尾大輔という人の対談は、内容はさておきその企画が凄いと思った。最後に余った2枚のカードを組み合わせたら完全にヤバいことになった…ような印象。ちなみにどちらの人に関しても著作を読んだわけではなく、主にyoutubeで話しているのを見たくらいなのでその印象もイマージュです。それにしても「立場は異なっても共有が可能な『知恵』」になるなのかぁ。そうなのかなぁ……。「アナーキー」という言葉の用法を拡大すると、全然繋がらないはずのものが凄く近づいて見えたりする、こともある。しかしそのことにどのような意味があるのだろう、とも思う今日この頃。