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  映像研究

どんどん進行する

 
・どんどん進行してゆく2010年。そしてその進行とともに、また季節の変化とともに、あっさりと気分も変わる。ついこの間まで小倉優子の『オンナのコ・オトコのコ』(作詞・作曲:小西康陽)のあらわれと趣についてわあわあと話していたかと思えば、たまたま後輩に教えてもらったDavid Grubbsとかいう音楽をエア・コンディショナー代わりにかけていたりもする。あるいはituneに眠っていた半野喜弘『Lido』を聴き直したりしている。夏はやっぱりチリチリした音楽に限る。フュージョンも好ましい。高中正義の暑苦しさも一周して涼しげ。それか南佳孝。もうチリチリとか関係ない。そのようにして気分は進行し、またいつくかの気分は並走し、フェードイン・フェードアウトする。



・神保町のレンタル・ショップにて、ビートルズの『ホワイトアルバム』というCDを借りてきたのは、最近Rくんにオススメ?されてすぐさま読み、尚かつ毎日何かしら読み返している椹木野衣の『反アート入門』という本に「ヘルター・スケルター」の件が登場したからなのであって、ビートルズはさておきこの本が大変に面白い。ある時期年表的な使い方をしていた松井みどりの『アート:“芸術”が終わった後の“アート” (カルチャー・スタディーズ)』と同じような時間軸を対象にしているものの、もう少し「美術とマーケット」との緊張感のようなことが書かれているかと思えば、唐突に「人間が人間であることの矛盾」のような根源的かつどうしようもないことが書かれていたりもしてスリリングだ。とかも言ってられないくらいしんみりと読んだ。後半に(本当に唐突に)「最近、山に生きたくなる」というような展開をするところも含めて非常に今だ。



・職場の同僚かつ後輩の今この時代に『モダニズムのハードコア』をアマゾンで8000円出して購入するような、それこそハード・コアという原理的というか、そういう求道的?な態度と接していたらちょっと触発されて、再び三たび…現代の美術が、なにゆえ現代にこのような状況で成立しているのか(あるいはしていないのか)について考えてみたくなったということも最近の気分、気分のフェードインだ。現代の美術と映像の教育。そして山岳の信仰。夏休みの自由研究は果てしない。そしてそれと並走するように、それらを参照しながら「フェスティヴァル」についての活動もスタートするかもしれない。焚き火、キャンプ、その延長線上の小型フェス。5万円とかかけて外タレとか見ることにはあまり興味がない人にとってのフェス。0円フェス。限りなく0円に近いフェスティヴァル。スポンサーもいない。そのような集まりが多分きっと始まる。