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  映像研究

四月の京都は初めてで、初夏の陽気、そしてひどく面白かった。

 
・17日の金曜日の夜に夜行バスにて京都に向かった備忘録。道中何度か四月の京都は初めてなのだろうかと確認する。夜行バスでは極めて密度の高い睡眠に突入してあっという間に朝が来て京都駅に到着したのは18日の土曜日の朝7時。前日の夜に「週末にこんなイベント行くんだー。良いでしょう?ところで最近どんなかんじ?(ほぼ原文ママ)」というような雑な近況メールを送りつけてみたことから緊急的に参戦することになったR君と合流して京都駅でトーストとコーヒーのモーニングを食しつつ近況報告系トーク。ほどほどに朝のエアポケット的数時間をやり過ごしたあと、とりあえずアートな僕らは、四条烏丸から徒歩5分の「京都芸術センター」に移動。開館時間の10時ちょうどに入場して企画展『明るい無常観-LIGHT TRANSIENCE-』を観賞。「のびアニキ」というアーティストと「淀川テクニック」というアーティストによる企画展。きっとお父さん&お母さんじゃなくとも「ほぉ。その芸人は面白いのかい?」と聞きたくなってしまうような並び(表記・特に前者)にアートの現在地点を色々と考えつつも、展示そのものは、パフォーマンスでもあり、オブジェもなくてはならず、尚かつ映像も不可欠である、というような共通点を持った興味深いプレゼンテーションだった(ように思う)。併設されたカフェにてコーヒー&サンドイッチによる本日二度目のモーニング。



・その後四条河原町に移動して某雑誌編集長Hさんと某雑誌デザイナーのIさんと合流して、4人になってアートかつ社会派な僕らは京都大学方面に移動。道行く京都大学生一押しの中華料理店でランチを食した後、京都大学内の「くびくびカフェ」というスペースを訪ねる。「くびくびカフェ」とは今回京都に行くことになってはじめて知ったのですけれども「京都大学の非常勤職員の雇い止め(5年)問題」に対して職員の方などが座り込みをしていることから始まったプロジェクト(?)というか「カフェ」だったのでした。Hさんが色々と話を伺っているのを聞きつつ、自分は入れていただいたコーヒー(ちなみにお値段は「年収÷万」でした/自分の場合は…??)など飲みつつ、撮影をしたり、新聞のコピーを読んだりしてお勉教する。土曜日の午後のキャンパスはなかなかの賑わい。そのようなキャンパスの賑わいを/風景を「くびくびカフェ」(ちなみに以前は「くびくびアイランド」だったらしい)から見ることは、どこか不思議な体験だった。それにしても眩しく暖かい(ちょっと暑い)この日は完全に初夏の陽気。



・その後この京都ツアーの一番の目的である夕方からの件(前回の備忘録も参照されたし)のイベント方面に緩やかに移動。叡山電鉄叡山本線(合ってる?)の元田中駅下車すぐの「anchovie Cafe(アンチョビ・カフェ)」へ恐る恐る行ってみる。ちなみに全く予備知識のない自分はここが「hanare」という名前のスペースだと勝手に思い込んでおりましたが、どうやらそうではなかったようですね。行ってみてとりあえずは受付だけ済ませたならば、イベントまでの時間に一昨年の秋以来二度目となる「西のオシャレ聖地(サンクチュアリ)」であるところの一乗寺は「恵文社」へ参拝する(聖地なので)。相変わらず空間の隅々まで行き渡ったSOガーリーな緊張感に体全体をむずむずさせて(完全に良い意味です)おどおどしつつきょろきょろしていると、偶然的に同じイベントに行こうとしていた写メール系アーティストのY君と再会して立ち話することなどもまた旅行(非日常)の醍醐味というものだ。その後可能ならば古書店「萩書房」なども参拝したかったのだけれども、時間がギリギリになってしまったので今回の「京都オシャレ遍路」はこれにて終了。ぜひともまた来ようと思う。



・「anchovie Cafe」に戻ったならば、既にかなり大勢の人、そして更に増え続けて17時すぎにはスペースは相当な高密度(高濃度)。ちなみに初夏のイベント(音楽系/アカデミック系問わず)ではハートランド・ビールが鉄則だという見解で一致。始まったトーク第一部では、廣瀬純という人と遠藤水城という人が自己紹介を兼ねて「hanare」などのオルタナティブ・スペースの意義について話したり話さなかったり。個人的に2008年の1年間で3回ほど廣瀬純という人が話しをする場面に居合わせたのだけれども、そのすべてが非常に面白かった。そしてその面白さは「興味深い系」の面白さではなく「爆笑系」の面白さでした。そしてそれは今回もまたしかり。そして休憩を挟んでトーク第二部は、坂口恭平という人と高嶺格という人による、アーティスト対談(しかしほとんど対談ではなかった)。高嶺格という人に関しては、今年初めの六本木はsuperdeluxeにて大友良英とのイベントでのパフォーマンス&トークも記憶に新しく、あるいはまた観に行きたくて結局行けなかった「せんだいメディアテーク」での展示についてのプレゼンテーションも面白かった(興味深い系)のだけれども、しかしそれはそれとさせていただいて(ということにどうしてもなってしまうだろう)全く別の意味で面白かった(爆笑系)のは、坂口恭平という人のプレゼンテーションで、本人もそのように言っていたけれどもそれは完全に「プレゼンテーション」ではなくて「アジテーション」だった。


・昨今普通に生活している中で「アジテーション」される経験なんて、よほどの強力な方向性をお持ちのセミナー的なものくらいだろうから(そんなセミナーは一切経験したことありませんけども)、2000円払うだけでこんなにアジってもらえるなんて、なんてコスト・パフォーマンスの高いトーク・イベントなのだろう、素晴らしい!と思いつつも、自分は何となく「アジテーション」的な発言をする人を(大勢の一人として)前にした場合、「素晴らしく勇気が出るなぁ」とか「こんちくしょう俺もやってやる」とか「がんばってなくて申し訳ありません」とかいう何かの思考のスイッチが入ることはあまりなく、多くの場合は軽くあっけにとられつつも、次第にアジテーションする側に(身体的に/アジテーションは何よりも身体性を伴うものだから)同調してしまうようなところがあって、この場合もすっかりスポーティな観客(身体の想像力)になっていた。トーク・イベントとその後のある意味スーパー・ニュートラルなディスカッションの内容に関してはとてもではないけれども書ききれないので割愛。考え続けることが最大のフィード・バックであるという当座の結論。しかしちなみに自分の観察と記憶が確かだったならば、ちょうど前に座っていた女子と向かいに座っていた女子は、うっすらと、やんわりと、泣いていた。恐らくはトークの内容を聞いていて、悲しかったか、嬉しかったか、ビックリしたか、何が何だかわからないけど感極まってしまったかのどれか、またはそれらの任意の組み合わせだろうと思う。色々な人がいる空間では、色々なことが起こる、こともある。



・あっという間の4時間以上が過ぎる。イベント終了後には主催者と残っていたお客さんとで乾杯。会場には気持ちのよい音楽がかかり甚だウィーク・エンドのパーリー・ナイト的な様子になり始めるも、心身ともに多少なりともチルアウトしたかった自分はほどほどに会場を後にして三条/四条方面に戻る。R君とIさんとともにふらっと入った葱焼き屋で舌鼓を打ったりして旅の夜だって満喫。そして夜がすっかり夜らしくなって日付が変わろうとする頃、まったく宿泊についてアナーキーだった自分は、同行していたIさんが宿泊しているホテルの隣に「安価で寝泊まりが出来る上に、漫画を読んだりインターネットとかも出来てしまう奇跡的な宿泊施設」が存在しているという情報を得て、一目散にそこに転がり込む。この辺りの記憶ほとんど無し。「枕が変わっても」どころか「枕がなくっても」極めて密度の高い睡眠が出来るのが特技の自分です。



・そのようにして新幹線が東京駅に到着する10分前に再び目を覚ます備忘録は19日の日曜日。まったくもって慌ただしくも盛り沢山、そして宿題も沢山抱え込んだ1泊3日京都ツアーはこのように長距離の移動から日常的空間へグラデーション的に終了する。












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