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  映像研究

耳障りの良い言葉

 
・耳障りの良い言葉に惑わされてはいけない。美しい、趣のある、小粋な、気の利いた言葉には隠された意図があるに違いない。例えばそれは「花冷え」という言葉。そのような言葉を耳にすると何だか「移ろいゆく季節のほにゃほにゃ」みたいな有り難い事柄を思い浮かべがちだけれども、要するにそれはただ単に「本当なら暖ったけぇはずなのに超寒みぃ」ということを、婉曲的に言っているに過ぎないのではないか。「寒みぃ」の代わりに「花冷え」を。「朝だりぃ」の代わりに「春眠暁を覚えず」を。美しい日本語を、お一つどうぞ。



・そんなことは良いとして、日々、スプリング・筈・カム(春は来る筈)。一般的なお仕事のタームよりもやや早く始まった2009年度。そんな中(?)最近職場の同僚とちょっと話題に挙ったのが、実体のない「規制緩和」について。とても具体的には「サングラスがトレード・マークの殿堂入り系某著名人が消費者金融のコマーシャルに出演している問題」です。別に出ちゃあいけないわけじゃないのだけれども…アレ?っていうこの感覚を、ある年齢以上の人たちときちんと共有しておきたい今日この頃。「あの人は『ユンケル』だけで良かったんじゃないか…」「エコカーあたりからなにかちょっと不穏な気配が…」という声も局所的にちらほらしていたりいなかったり。それにしても普通に考えて「サングラスの謎の中年男性」からお金を借りようとは思いません。例えばこの事例を日本の人以外の人に説明するときに、何回「逆に」「あえて」「むしろ」「一周して」って言わなければいけないのだろう。大変だ。



・「安心感」みたいなイメージ、そういうイメージを持っている人物や、キャラクターや、風景や、言葉や…そういう様々なものは、気がつくとどこか「あるひとつの場所/方角」へ連れ去られてしまう。なんていうとそれは素朴でナイーヴに大袈裟だろうか。でも、そんな風に言いたくなってしまうくらい、今まで色々な/有象無象の/めちゃくちゃだった、人物や、キャラクターや、風景や、言葉の、その行方を見てきた。