&

  映像研究

2022年10月の体勢

・202210122112。帰宅する京王線で書いてみる。言葉を失い、あるいは書くことを忘れて、いま取り戻すように書いてみる。「書くことが難しいような時にこそ書くといつか読み返して面白い」は事実であるかもしれないが、それはそれとして書けないことはある。書けないことは書かないスタイルで書いても良い。これはしばらく考えていたこと。

 

・時間は過ぎる。平時は時間を流れとして意識することはないが、すぐ後ろを振り返ってみて10月上旬は濁流のようものとして思い出される。混ざり合い、重さを持った、不透明な流れのイメージ。その流れに運ばれていま。予想していた場所だが想像とは違う仕方で運ばれた結果として、もうすぐ月の半分が消える。

 

・色々な人の温情によって辛うじて体勢を保っていることが明らかになる季節でもあった。

 

・家から最寄り駅までの道では稲刈りが為されている。膨らんだ稲が地面から切り離されて束ねられている様子を自転車の速度から見る。今日の曇天を背景とするその光景はもうすぐ寒さが訪れることを感じさせる。そして膨らんだ稲を熱と光と水の結晶として思う。そうした思いを巡らせながら、農のメタファーの定番であるところの「収穫」は、そろそろ自分にも訪れるだろうかと考える。

 

・先週末を泳ぎ切ることができたから、きっと今週末も越えられる。もう一ヶ月近く図書館の静かな時間から離れている。10月の後半にはまた別の風景が見えていることだけが分かる。