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  映像研究

夏の朝のメモ

・201908080834。今朝も届く荷物を待ちながら。数日前にダウンロードした『君の鳥はうたえる』のサウンドトラックを聴きながら。今日は大学図書館に行く予定。昨日は一日中央図書館で過ごして目標(?)通り朝から夜まで誰とも会話しなかった。とはいえいくつかのテキストでの連絡や挨拶を貰う。声ではなく文字で。データを表示した文字で。それを自分はその人の声で再生するわけではない。文字で感じ取る。文字を読むとはどういうことだろう。2019年の夏に自分に課せられたのは精読をすることで、自分はこれまで、どのような読み方で文字を、文を、言葉を読んできたのだろうかと省みなければいけない。あるいは異なる言語を読むということはどういうことなのか。ようやく理解したことは、この先何をどのように考えて、あるいは何をして生きていくにせよ、フランス語を学習し続けるということだ。

 

・家のベランダから見える木はもうない。昨日8月7日にあっさりと切られてしまった。これを何かのお告げ的なものと理解することもできる。移動すべきだろうか。住居と生活を考え直すタイミングだろうか。昨日中央図書館で少し休憩しようと手に取ったのは&Premiumという雑誌で特集は「住まいを変えると、生き方が変わる。」というもの。それをパラパラしながら、生き方はむしろ住まいが変わろうが全然変わらないのではないかとも思ったが、確かに住まいが変われば、姿勢が変わり、器官が変わる。言葉も、感情も変わるかもしれない。それは生き方を変えることに繋がるのだろうか。

 

・広い家に住みたいと思っているがそれは「距離をはかる」ことができるからだ。窓の外に見える風景に山がなければいけない。視線を送って細部をキャッチできる場所に大きな木が生えていることが好ましい。畑や田があると季節の変化が感じられる。風が吹くことが見えるし、湿度は暑苦しく感じられることもあるけれども、環境と自分の身体の境界が触れ合い浸透していることを思い出させる。都市と自然は0/1ではないが、都市(の自然)を前提に思考をはじめるのは卑屈な態度であるように自分は思う。圧倒的な存在を前提として風景を見る。そうした風景を望むのは、そうした存在が人間以外のことを勘定に入れた世界を感知する入り口になると思えるからで、いつでも傍らにそうした思考や感覚を持ちながら生活することを諦められない。

 

・それなりの年齢を重ねてようやく理解しつつあることは、まったくトレンドと関係なくとも、誰にも興味を持たれなくとも、やるべきときに、やるべきことを、やらねばならないという当たり前のことだった。中断。

 

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