&

  映像研究

(あえて言うならば)時間を、6月の第2水曜日を、ハックする。

 
・11日の水曜日は6時起床。そしてリュックサックを背負って朝7時の中央線を下る。設立以来初めての全員集合(5名参加)による「山部 vol.7」はここから始まる。JR高尾駅に集合したならば、そこからはバスに乗り換えて「陣馬高原下」まで。バスの道中は山登りを忘れるほどの、小学生くらいのハイ・テンション・おしゃべり(全員昭和54年生まれ/5名のうち1名は子供あり)。登り始めたならば全員がしばし無言(バスの疲れ)。そして陣馬山〜景信山〜高尾山のコースは、天気予報を覆し、私たちに時折晴れ間を見せたりもするのでした。


(略)しかし、「ハック」にはもうひとつの意味がある。それは、テクノロジーを転用し、本来の使用法とは異なったやり方で使うというものである。
ティム・ジョーダンは、ハッカーが挙げた「ハッキング」のひとつの例を紹介している。たとえば、紅茶を飲もうとしたときにやかんが壊れて使えなかったとする。その時、やかんの代わりにコーヒーメーカーを使ってお湯を沸かし、そのお湯で紅茶を入れると、それがすでにひとつの「ハッキング」であるというのだ。それは創造的なテクノロジーの誤用という意味をはらんでいる。(略)
文化=政治 グローバリゼーション時代の空間叛乱毛利嘉孝 より


・ところで、最近読みなおして面白かった本の、特に上記の部分が、その発想がとても好きだ。「誤用」という概念を、正しい意味での「創造性」に接続していくということが、ある「生活の仕方」であり、ある「抵抗の方法」でもあると考えることができるのならば、(そうするべき人は皆)より深くそのこと、つまり「誤用」というものについて考えたり、そのことから発想して、具体的な何かを試みるべきだとか思った。


・そういった意味で(テクノロジーとは全く関係がないけれども/それすら「誤って」いるということにしていただいて)、私(たち)は、本来ならば労働をして賃金を得るべき「6月の第2水曜日」を、それとはまったく違った「山登り」という誤った使い方をすることで、つまり「ハッキング」したと、そのように考えてみるというのはどうだろうかと思う。それは、特に誰も傷つけない「ハック」なのだから、個人的には、あらゆる人が、あらゆる場所で、水曜日を、月曜日を、午前中を、「誤用」すればいいのに、と思う。



・しかしながら、登ったり、下ったり、お湯を沸かして何かを食べたり、記念写真を撮ったりしているときはもちろん、そのようなことは考えない。ただ、登ったり、下ったり…(以下略)しているだけだ。ちなみにおおむねはしゃぎすぎたせいで、高尾山に到着したのは、すっかり日も傾きかけなくもない17時。そして途中から一緒のペースで歩いていた、おそらくは定年退職され「6月の第2水曜日」を自由に使っておられると見受けられる、紳士(とあえて呼びたい)に教えてもらって、「杉の木に着生(?)する花『セッコク』」というものを探しながら「高尾山自然研究路/6号路」を歩く。


・しばし歩き、おおっというかんじで「セッコク」が見つかったそのときには、紳士は微笑みながら先に歩いていってしまい、すっかり消えてしまったので、私たちは皆「ああ、あれはきっと「セッコク」の精霊だったのではないか」とか、なんとか言い合いながら暗くなりつつある登山道を歩く。それまでがずっと尾根を歩いていたのに対して「6号路」は「森と水」の道、沢にそって、沢そのものを歩く道だったのだから、ついつい疲れを忘れて、またはしゃいでしまう(写真だって撮りすぎてしまう)。そのようにして、基本的にはずっとはしゃいでいた水曜日なのでした。