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  映像研究

後から記す備忘録/桜が満開との情報

 
・四季の中で最も取り立ててさほど興味のない季節は圧倒的に春。ちなみに特に興味があるのは常に夏。次いで秋。強いて言うなら冬。そんな中「春」に関しては毎年微妙な想いで過ごしつつも「花見」と聞けば、何だか妙な「せっかくだから感=一期一会感」を大変刺激され、企画立案こそしないまでも誘われるがままに片っ端から参加する、ことこそが社会に生きる人にとっての最低限の礼儀というものなのではないでしょうか。そう。春です。花を見ましょう。満開です。


・25日は春の陽気に誘われて下記の2つの展覧会を鑑賞。

サラ・ジー展 メゾンエルメス8Fフォーラム

『Emerging Artists Support Program 2007展覧会企画公募』トーキョーワンダーサイト本郷
・ノーマディック展 シェイン・イーマンと仲間たち
・DIG&BURYのオダユウジ
・たこうさぎバルカンピクニック


・「サラ・ジー展」は周囲の人(誰だそれは)の間でもとても評判がよく期待していたその期待どおりの、スペクタクル及びエンターテインメントな展示だ。細部を観察し、全体を俯瞰し、また細部を観察する、例えばその観察することこそがこのような制作の意図だと理解して、その物のチョイスやらレイアウトの感覚に知的な興奮を味わいながらも、しかし一方では所謂「造形力」や「構成力」のようなものに関しては、もう「どのようにすごいか」については理解することすらできなかった。そしてその「理解の及ばなさ」こそがこの(これらの)作品の「崇高さ」であるような印象を受けた、というのが正確な感想だ。



・そしてトーキョーワンダーサイト本郷に移動して3フロアの展示を鑑賞。去年の企画もなかなか野心的な試みで思わずハッとしたりグッときたりしたのだけれど、今年はもう一線を越えて「何だかわからない」展示だったので、とりあえず黙した。「ドローイング的なもの」と「インスタレーション的なもの」を中心に展示されているという共通点に意識を払いつつ、しかし黙するなりに感想を述べるならば、やっぱり今やある特定のシーンにおいては「作品」と「記録」と「なんでもないこと」との境界はまるでないのだなと感じ、あるいは「まるでないかのように振る舞う(少し照れながら)」のが現代の作法なのだと考える。


・そして「なんでもないこと」は非常に重宝される一方、似たような意味であるような「日常」なんていうことはもう誰も言わないのかもしれない。強いて言うならば、また違った表現としての「生活」という言葉があり、それはつまりダイレクトに「仕事」と「余暇」のことを指し示すのだろう。そして「時間」と「お金」こそが、またはその関係こそが旬な話題でもあるのが現代であるならば、だから個人的にはそこで例えば「消費」みたいなことについて考察するような作品(じゃなくて「プロジェクト」と言うべきなのか?)が見られたりしたら面白かったな、というのが勝手な感想です。