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  映像研究

土日だった。週末だった。休みだった。(モア・詳しく)

 
・19日(土)は業務後に東京都写真美術館に急行する。『日本の新進作家 vol.6』の会場の中での「ライヴ・イベント HOSE×田中功起@写美」というものを観に行こうと思ったからなのだけど、本当に開始時間ギリギリ、ないし若干オーバーしていたことによって、入口で冷たく入場を断られた、けれども執拗にごねてみたり(「中に友達がおりまして…」というこれは本当だ)したところ「…わかりました(情)」とのことであわてて一万円札を差し出したならば「もうレジを閉めたのでそれ(諭吉)では無理です」と言われたものだったから、あわてて売店で(ウォルフガング・)ティルマンズのポストカードを購入したことによって、今デスクの横の壁には、窓際にオレンジやらドリップ中のコーヒーやら、なにやらなにまでが写っているスティル・ライフ的なドイツ写真のポストカードが置かれ、そして自分はその時無事そのイベントに入場することができました、という顛末です。ありがとう、ティルマンズ。じゃなかった、都写美。そして、ライブ・イベントもなかなか特殊な趣が満載で良かった。


20日(日)は新年以来の久しぶりの休みらしい休み。とは言え先週末は有給的無給休暇、かつ小旅行、かつアートなカーニバル、だったもので、その間忙しくあれこれするチーム同僚たちの手前、そんなことを偉そうに言うのもどうかというものです。しかし体はすっかり社会の人なので、日曜だのにきっちり朝起きて、洗濯。昼前に出かけて「せっかく」なので、駅までの道にある園芸屋「緑化園」へ。「ベランダー」ですらない「出マダー(出窓を使った緑化)」としては、土を見に来たつもりだったのだけれども、すっかり忘れて花を見ていた。あるいは草を。結局見つけたものの重そうなので「また今度」にする。「また今度ネットで色々調べてから」にする。そうなると例えば24時間やっている園芸屋というものはないものなのでしょうか。とりあえずその後西荻窪で本を探す(見つからず)。


・更にその後移動。「京橋」と「竹橋」を勘違いしていたことによって無駄に時間が過ぎる。

わたしいまめまいしたわ 現代美術にみる自己と他者 Self / Other
会場 東京国立近代美術館 企画展ギャラリー

主な出品作家(順不同):
梅原龍三郎、中村彝、岸田劉生藤田嗣治谷中安規(たになか やすのり)、麻生三郎、椎原治、靉光、北脇昇、ウォーカー・エヴァンズ、植田正治、浜口陽三、河原温、宮島達男、村上友晴、岡崎乾二郎、ブリジット・ライリー、日高理恵子フランシス・ベーコン須田一政、ポール・ストランド、高嶺格(たかみね ただす)、郭徳俊(かく とくしゅん)


・というものを鑑賞する。今まで展示したものからチョイス的な展覧会だったのだけども、タイトルにもなっていることもあって(しかし出品作家には名を連ねていないのだな)牛腸茂雄の『SELF AND OTHERS』がじっくり見られたことと、高嶺格の『God Bless America』がとても面白かったため、ホクホクしつつ再びメトロで移動。そして関係ないけどその昔、確か都築響一という人が、確か『アート・イット』という雑誌で「お寒い展覧会タイトル」(そんな記事じゃなかったかなぁ)的なものを書いていたのだけど、今回の、これは、なんというか、かなりの「その佇まい」がかなり濃厚に佇んでいるような気がするけれども、もうこれはきっとあちら的にもある種の確信犯であるならば、そこに対してはもう何も言いますまい。と書きつつも、ぼくはこの「感」嫌いじゃないですよ、ということだけは書いておく。

六ヶ所村ラプソディー』ワンコイン上映会
●会場:セシオン杉並 視聴覚室


・あるいはまた、上記のこのような映画もずっと観たかったところに偶然的にチラシを手にしたために夕方からの回に向かう。最近色々な機会に色々な場所で観るのは、なんというか「内容だけでなく手法的にも…」的なそういったことは一切言わない種類の、事実を伝えるためのドキュメンタリー映像だ。しかしそのことは「もうそんな悠長なことをあれこれしている余裕はないのだ」ということなのか、それともまた別の要因によるものなのか、そもそも「要因」ってなんだ。そしてそんなことを考えるのはやめて「原子力発電」や「再処理工場」について考えることもしたいから、この映画を観に行ったのだった。休日が終わる。