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  映像研究

きっと色々な事情があるのだと考える

 
・色々な事情から、自分はほとんどテレビのニュースを見ないので詳しいことは全くわからないのですが、自分が通常業務を行っているわりとすぐ近くには新宿御苑という公園的なものがあり(休日ともなれば家族連れなどで相当なにぎわいを見せ)ますが、どうやらその新宿御苑という場所は、色々な事情によってどこかから飛んでくるであろう爆弾を撃ち落とすためのミサイルを発射するのになかなか絶好の場所かと、これもまたたぶん色々な事情から色々な人が考えた結果、そのようなことになったため、とりあえずちょっと調べてみましょうか、というようなことになっているという話は、これは、どの程度、どんなもんなんだろうかと考えるけれども、どういうことなのか、全くわからない。


・わからないなりに、それが自分にとってわりと身近な場所であることによって、今まで頭の中でだけぼんやりと考えてきたことが、なんだか突然に「リアリティ」を帯びてくるのだ(「時は来た」のだ!)……、というようなカーニバル的?なテンションは当然のように全く(ほとんど、くらいにしておこうか)なくて、ただ自分はこのことが「わからない」ということ。


・そして「わからない」ことが、またひとつ増えてしまったのだ、あるいはそれ自体はたぶん悪いことではないのだろうけれども、さて、どうしたものでしょうか、というようなことと、それでも例えば自分は今、アップルから出るらしい「MacBook Air」には、やっぱり無条件に心時めいてしまうのだなぁ、というような事柄がありつつ、(強いて言うならば)それらのふたつの出来事、でなくても、あらゆる任意の出来事の間には、きっと何かしらつながりがあるのだろう、というような仮定をざっくりした上で、なおかつ自分で勝手に仮定しといたくせに、むしろその仮定では成り立たないような顔をしている事柄こそを積極的に探し出すための労力は惜しまないだろう、私は。しかしそしてそこには当然、そこからも「こぼれ落ちた」、一見すると何かわからない、何かどうでもいいものがあり、そしてたぶん自分は「それ」について考えている、その過程にある、のが今の今だ。