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  映像研究

待ちに待った/想像

 
・8日(土)。「待ちに待った」PAY!DAY!、から数日がすぎ、本日は、本日も晴天であり、事務所に寄ってPCにDVから取り込みの作業を命令して(しかしこれは帰ってきたら拒否されていた)渋谷から水道橋方面に移動。着くなり偶然にも石井スポーツ本店前で古書店を散策していた友人二人に遭遇して、お茶。ひょんなことからここでも山の話。怪しい勧誘くらい山をお勧めしている人になっている自分が恐ろしい。しかしだってその友人がまたこれちょうどなタイミングで結構ないい塩梅の登山靴履いてるもんだからさ。


・忘年会の約束をしつつ友人たちとわかれて神保町交差点近くの靴屋「ミマツ」に。「待ちに待った」ダナーのブーツ(これは登山用だから…と自分に言い聞かせつつも、当面の用途は主に町に居ながらにして山を想うためのインターフェイス?的なものだ)を購入。親切丁寧な接客(相談)をしていただき、とても気持ちよく買い物をする。そしてそれは物を買う上で大切なことだと思います。勢いづいて「さかいや」でパタゴニアのアンダーウェア、登山用のソックス、セールのラックにあったMILLETの謎の小袋(煙草を吸わない自分としては何を入れよう?デジカメ??)を購入。もう少しでタイツとニットキャップすら買いそうになる(これは登山用だから・・・以下略)自分がまたしても恐ろしい。山部員に主に自慢のメールをばらまく。これは豪遊だ。しかし必要だ。



・ところで、ぼくはこのブーツを「これは一生モノだ」と思って買ったのだった。このようなブーツの場合、お店の人も大抵「これはもうほんとマジで一生モンですから」式のセールストークをしてくれるし(しかし「ミマツ」の店員さんはそういう言い方はしなかった気がする/「ソールを張り替えて長く履いていただけます」とかそんなような)、あるいはまた『大人の日曜日』系の(そんな名前のものはないですが)雑誌では「今月の一生モノ!」みたいな(そんなタイトルではないですが)特集が組まれていたりするわけで、そんなようなことを考えるたびに自分は「一生モノ」というのが、ちょっと小粋な言い回し程度のものなのかどうか、自分の一生をかけて(そんな大げさなことではないですよもちろん)確かめてやろうじゃないか、と思ってしまう。そしてそのような発想自体がなんだかとても面白いと、思う。


・あるいはこの日記を書き始めた当初に自分はこんなようなことを書いていたことを思いだす。たとえばこんなような「衣料品は1000円で1年間リースしているのだ」という発想に基づくと、自分は72歳までこのブーツを履き続けるということになる、というか72歳まで履き続ける約束をしたからこそこのブーツを手にすることができたとも言える(言いたい)。そして想像する。72歳になった自分は見た目の一例としての椎名誠的な(?)かんじで、半世紀近くが過ぎたその時代「逆にデジタルとか?ん?」みたいな一見森の人みたいな(でもノートPC的なものは一応ある)生活をしていて、ふとしたときにブーツを手をやりながら遠くを見つめて「ああ、若かった頃のわたしは生活も決して裕福ではなかったけれども、あるPAY DAYのタイミングでこのダナーを買ったんだよなあ」とかなんとか、思うのだろうか。…と、このようにしてとくに何の生産性もない夢は広がるだけ広がるのです。だってそれはタダだから。