&

  映像研究

アイディア、ピクニック/写真の準備

 
国民年金を払いすぎていたので少し戻ってくる、という話を同僚にうれしそうに(していたと思う)話したところ、「そういう詐欺流行ってるよ」と言われた。人を喜ばせておいて貶めるなんて(実際どうなるのかはしりませんが)世にも恐ろしい方法をよくも考えたものだ。そういう時事ネタに対する心理を巧みに利用した手法の詐欺を思いついている密談の現場とは、一体どんなかんじなのだろう。案外ぼくらが何か面白い作品のアイディアを思いつくのと大差はないのだろう。だから想像の中でのその光景は、とてもせつないものだ。ちなみにもちろん自分の件は詐欺ではありませんでした。念のため。


・土曜日は昼から代々木公園で先日の撮影のつづき。元同僚にも友情出演してもらって順調に進む。終了後にみんなで食べた(ピクニック風)ARMSのハンバーガーも美味しく、秋を満喫する。その後新宿。



・そして自分は「写真の準備」をしている。「写真の準備」は「小説の準備」ほど難しくはないけれど、それでもそれが特別コンセプチュアルな対象でない限りは、漠然とあるイメージと自分の目の前の光景が重なるような経験(の確率)を日常生活の中で少しずつ増やしていかなくてはいけない。これはもちろん何かの一般的な方法ではなくて、あくまでも個人的な考えなのですけれども。


・学生の後半のある時期、近所の雑木林ばかり撮っていた。それは確かにとても平和な住宅の背後にあって、まるでその住宅の生活から「あまり見たくないもの」を差し引いた、その差の部分のようだった、というようなことをこの間の『ニュータウン入口』を観て思いだした。地形やそこに捨てられているものや色々な要素を観察することで、多分見えてくるものがある。あるときは小学生くらいの男女数人の子どもが半裸で輪になって踊っているところ(に見えた)に遭遇してしまって(向こうはこちらに気づくとあわてて逃げ出した)「ああ、こういう場所にも民俗学的なものはあるのだ」と思ったりしたこともありました。


・そしてつい一ヶ月くらい前に数年ぶりにその場所に行くと、そこにはただただリアルに「その場所に住んでいる」人たちがいただけだった。自分が撮るべきものは、今は別の場所にあるのだと思う。