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  映像研究

8月がはじまる。

 
・仕事が昼から。家事全般を片づけて図書館に本を返して「ささま書店」を覗いて中央線に乗る。
朝から出講だときっと気にならないはず、途中新宿に向かって左側に見えるプールには子どもが沢山遊んでいる。そうなんだよなぁ、夏なんだよなぁ、と思っていたら梅雨は今日、明けていた。夏です。


・こないだの「文化系トークラジオLife」のpodcastを聞きながら(寝てしまったのだ/テーマが「選挙」だっただけにやっぱりリアルタイムで聞きたかった)参院選についてのブログ諸々を読みかじっていた。とりあえず二大政党制なんてものはたいした問題じゃないとして、やっぱり「ネオリベ/それ以外のあり方」という対立軸を考えたならば、たとえ現在どれだけ「政治ブーム」だったとしても、クリエイティブと言われているものと本来の意味での「政治」の相性は決して良くないのだなぁと思う(「STUDIO VOICE」で政治特集が組まれたりしようとも)。これは自分の身の回りのはなし。
あるいはまた「ファイン・アート」なんていうものも、表向きは消費の構造の外にあるようなイメージがありつつも、現代においては実際のところそのようなものではなく、少なくとも本当に根本的な何かをメッセージするメディアとしては圧倒的に機能しないのかもしれないなぁと思う。


・そんなことを思いながら、構造に言及するという意味で、メッセージするという意味で、あるべき方法のひとつとして、あらためて映像や写真について考えてもいる。これも自分のはなし。