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  映像研究

身体について、かもしれないメモ(ボールペン)

 
・13日(金)。朝から家でwebに使う素材をあれこれする。お仕事リストだとか事務所の地図だとかそういうものをまとめてO君にメール。送られる方のことを全く考えてない系のメールを送信。夕方外出。


岡田利規×宮沢章夫×内野儀『21世紀の言葉と身体と表現』@東京外語大に行く。
3日前の@紀伊国屋ホールに引き続き、これじゃ追っかけじゃないかと少しためらったのだけども、岡田利規氏(チェルフィッチュ)が生でしゃべるのをぜひ見てみたかったりもしたので、行く。久々に大学というところに足を踏み入れたのだけど、なんかちょっと良いですね。時間があれば学食に行きたかったです。


・講演については、聞いてる最中は「ノイズ文化論」の内容と重複してる部分だけが気になっていたのだけど、帰りつつ西武線に揺られつつ考えていると色々と重要なことが話されていたような気がしてくる。
「ノイズ文化論」に関連したことでは、とくに「ああそうですか」が持っている(いた)「批評性」が、現在ではあるシニシズムにつながっている、というようなくだりが少し理解できたかもしれない。そしてそれは元々は「再現としてのリアリズム≒リアリティ」への批評的な態度としてあった、ということなど。


・そして、ベケットラジオ『カスカンド』はさわりだけだったのでちょっとよくわからなかったのは残念だったけれども、チェルフィッチュ岡田利規の「『ノイズ』を招き入れる(というような言い方はしていなかったと思うけれども)のための方法論」というようなことも作者の言葉として聞くと、それは批評として論じられるのとは違った説得力とその背後にある揺らぎを感じて興味深い。「身体と言語」という問題に対して「ある関係性のもとに・・・」という言い方で繰り返し答えていたのが印象的です。


・文字通りの、嵐の前の静けさ? 傘を持って出た意味が全然ない。4回くらい忘れそうになる。
帰りがけ吉祥寺で晩ご飯。本屋に寄って帰宅。明日は久々の(フェス的な)集まり。