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  映像研究

特別な時間

 
・「特別な時間」という言葉を打ち込む。「特別な時間」という言葉を見つめる。「特別な、時間」と声に出してみるかもしれない。特別な時間とはどのような時間だろう。どのような時間も特別な時間であると考えられると同時に、特に、特別に、特別な時間、という時間もあるのかもしれない。あるのかどうか。今がそうであるということなのか。どうなのか。色々な種類の「時間」について考えたりしている。「時間は流れない、それは積み重なる」だったかという題名のテキストを読んでみたりした。「今」と言った時それはどのような幅を持った時間を指し示すのか。「続く」と言った時それはどういった状態を想像しているのか。各種考える。



・「特別な時間」という言葉から『わたちたちに許された特別な時間の終わり』という岡田利規という人の本のタイトルを思い出した。そういえば今週はずっとチェルフィッチュについて書いてある本を読んでいた。そういえばもうしばらくずっと「物を語る」という意味での「物語」について考えている。去年の11月に東京都現代美術館で観た『ゼロ年代のベルリン ―わたしたちに許された特別な場所の現在(いま)』の図録を買っておけば良かったなぁと今になって思っている。同じことを考えている。同じことを考え続けている。



・高尾の緑を見ている5月。鮮やかな緑を見たり、鮮やかな緑を写真に収めたりしている。昼間は暖かくとも夜は寒い5月。夜はファンヒーターをつける。夜は毛布にくるまる。『うかたま』に載っていたジンジャエールを作ってみている。ジンジャエールは18℃以上で発酵を始めるらしい。ちょうどそれくらいかもしれないと思って、部屋の中のほどよさそうな場所に材料を仕込んだボトルを置いてみている。そのような5月。目の前のひとつひとつの出来事に対して可能なかぎり丁寧でありたいと思うことを、例えば人は「理性」と呼んだりするのか。どうなのか。