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  映像研究

いっしゅうして

 
・通勤中ポッドキャストで、文化系トークラジオLifeの「先生」回を聞いていた。そういえば自分も週に数日、時と場合によっては便宜上「先生」とか何とか呼ばれていたりいなかったりなので、そんなこともあってなかなか面白かった。けれども更に良かったのは最終的にポッドキャスト版で、医療も含めた「(学生や患者の)自己責任論」のような方向に話が展開したところだと思う。


・事務所メンS君からメールで、原武史の『滝山コミューン一九七四』という本をオススメされて、ちょうど本屋にいたので立ち読む。アマゾンよりも優秀なオススメサーヴィスとはこういうものだ。ちなみにプロフィールにも書いております通り「(西、かつ厳密に言うならば北)東京生まれ」の自分としてはピンポイント過ぎる地名の連続にほとんど涙が出てくるようなところもあるけれども、内容に関してもドキュメンタリーのかたちでありながら、現代にも通じる(ニュータウン?)都市生活、そしてそれを支えてきた教育の問題が物語的に書かれているようで(立ち読んだだけなので詳細はわからないけれども)、スタンスに関して色々思うところはあるだろうけれども、とりあえずこれは読んでみたい、と思いつつも手持ちがないので次回にまわす。ちなみに買ったのは『論座』。岡田利規×鈴木謙介、が読みたかったので。


・夜は某コンペティションの件で久々にメンバー全員が事務所に集合。「みんな集まるとスマスマみたいだねー」とかはもう言わない。なぜなら私たちは大人だから。12時を過ぎるころには、私たち的今回の作品のキーワード「大人の男」を定義するというきっかけで夜の私塾がスタート。「『粋』とは何か」という課題から、例えばそれがそもそも「侘び寂び」という価値観に対するアンチテーゼとして「つきつめないこと」という美学を内包していたのならば、「粋」に対する「野暮」にもそれを自覚するかたちでの別の種類の美学(あえて言ってしまうこと)があるのかもしれない…うんぬん…というこの話は一体何のためのものだったのか。誰にもわからない。


・ちなみに自分は「ネオ・侘び寂び=萌え(?)」的なものとして「90年代渋谷系」〜『めがね』のラインにカテゴライズされて、「現代の『粋』」であるところの(自己言及しないという意味での)「タモさん的なもの」方面から主にお叱りをいただくという場面もあり、それに関しては素直に受け入れつつ受け流す次第であります。
というような、少なくとも決して「粋」ではない部室トークは始発の時間まで続いたのでした。