&

  映像研究

首がまわらない、全然まわらない

 
・タイトルの通りですが、あくまでも身体的な意味なのです。だからこそ困っています。


・27日。朝起きると首がまわらない。自己流ストレッチ&ツボ指圧も全く効果なく、仕方なく家を出る。
日課としてのささま書店をちら見しつつ(最近買ってないなぁ)、各種月末の手続きをしつつ(連休前だから)、新宿へ。丸の内(新丸ビル)で作品展示中のSさんとジャーナルスタンダードのカフェでお茶などしつつ、知人(主に共通の後輩)に関する近況連絡会。そしてせっかく誘ってもらったレセプションには結局参加できず。すみません。。
新宿で授業後、東京麺通団。高井戸温泉で湯治。帰宅。


・28日。朝起きると、昨日にも増して首がまわらない。しかし家を出る。
連休前に行こうと思ってたshugoartsの、中平卓馬「なぜ、他ならぬ横浜図鑑か!!」を鑑賞。「他ならぬ〜」っていうところが何となく狂ってていいですね。ギャラリーには偶然にも中平卓馬本人がいらっしゃいました。元気そうなことに勝手に安心。
その後、本当はもうひとつの目的だった茅場町の「森岡書店」に行くつもりが、あまりにも首がまわらないので断念。首がまわるときにあらためて来ようと思う。首がまわることは大切だと痛感(まさにそういうかんじだ)する。
その後新宿で授業。まっすぐ帰宅。


・首がまわらないせいでGWの予定が地味にずれつつあるのが、本当に恐ろしい。


・ところで最近各方面から、ドラマ「セクシーボイスアンドロボ」をオススメされるのだが、面白いのでしょうか。オススメされるたびに「ごめん、テレビないからさ…」と言って相手に気まずい思いをさせるのも申し訳ない。ドラマの内容には全く関係ないことなのだけれど。
「セクシーボイス〜」といえば当然「木皿泉」で、「木皿泉」といえば、個人的には当然「すいか」だ。


・関係ないことついでに、もうすぐ「すいか」から丸4年経つのだなぁとふと思う。「すいか」が放送されていた当時「すいか」は「2003年の東京」でどうしたら「日々の生活に耐え続けることができるか」ということを、とても丁寧に描いているドラマだ、と思っていた。そして「丁寧であること」それ自体がメッセージである、ということを示した画期的なドラマでもあった、と思っている。
そしてそのメッセージは4年経った今なお有効なのか、あるいは2007年の今だからこそ、あらたに気づくこともあるのではないかな、というようなことを変わらずに考え続けてもいる。