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  映像研究

月曜日の朝、エクセルシオール

・202108160738。朝一時間だけエクセルシオールで作業。キーボードを打つ準備運動と思って書いてみる。「最高気温は23℃です」とラジオから声。猛暑から冷夏へ。昨日の夜は秋の匂いを嗅いだ。映画の予告編のよう。今朝はサーマルにカーディガン。コットンのストール。家を出てバス停までの道端にお盆の野菜。お盆の野菜を見ると例年ならば暑さの中に微かな秋の予感を感じる。数日前にふと『すいか』のことを思い出したから昨日はYoutubeに恐らくはアンオフィシャルにアップロードされているいくつかのシーンを見た。『すいか』は7月から9月の、言うなれば夏の終わりの、お盆を中心とした、この世とこの世ではない何かとの狭間を描いていたのだということを思い出した。生きているこの時間を刹那と感じるような視点が設定されていたことを思い出した。そのような視点で生活を眺めることが人を救うことがある。「救う」は大袈裟だとしても「慰める」ことがある。音楽や、物語や、植物に慰められて生きている。あるいは写真に。自分はお盆が近くなると、佐藤真『self and others』のことを思い出し観たくなるが、『すいか』でともさかりえ演じる絆さんが双子であり写真を部屋に置いているという設定は、佐藤真あるいはダイアン・アーバスの写真が発想の元にあるのではないかとふと思った。木皿泉のドキュメンタリーに映されていた部屋のあの膨大な資料の中にはどのような写真があっただろうか。中断。

 

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