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  映像研究

ゆるむ、眩しい

・4月18日。17日の初回の授業さえ終えれば、ひとまず、と思って、その時間をめがけて一か月ほど過ごしてきた、から、その日を越えれば、別の感じになる。単純なこととして、自分にとっての通常業務の遅れを巻き返さなければならない。並行して観たい映画が多くある。展示も観たい。会いたい人がいる。そうしてゆるめつつ必要な物事を拾い集めたらきっと連休期間に突入しているに違いなかった。

 

・ベランダの鉢で死んだように完全に乾いて立っていた山椒の木から芽が出て嬉しい。今年こそは死んでしまったのではないかと思い、しかし毎年芽を出す。その驚きと不思議に鼓舞されるようにして春を突き抜けている。

 

・教材として購入してみたピンホールカメラを使い適当な露出で撮影してみたらかなり適正に映っていて嬉しい。モノクロームのフィルムで撮影をしたのは、もう20年ぶりくらいかもしれなかった。映ることの不思議を伝えるべく、まずは自分がその感動を掴んでいなくてはならない。

 

・毎日何かしら新しい服を着て過ごし、あるいは新しい組み合わせで服を選んでいることに気がついて、あらためて自分が新しい時間に生きていることを思い出す。今、かろうじて、もう少しだけと思いながら、最前線にぶち当たり続けながら生きている感覚を掴んでいる。想像を未だない時間のあちこちに飛ばしながら、跳ね返る視線で現在を見れば眩しい。