・「三寒四温」という言葉が好きで、その文字通りな感じ、ワンツーパンチな感じ、目で見てわかる感じが好きだけれども、同時に毎年のように「四温じゃねーじゃん」的なことも言っていて、そういえばこの前宇多丸さんのラジオでも「3月は春かどうか問題」について話し合われていた。3月は春だと思う。その上で春というのは本来寒いものなのだと思う。何かの始まりとか、何かの裂け目とか、何かの綻びを「春」と呼ぶのだとして。
・大抵「四温」が順調に進行するのは、あるいは季節が進行するのはいつもつねに雨とともにだから、今は春の雨を待つような気持ちでいる。じゃんじゃんと、さらさらと、しんしんと、春の雨に潤してもらったならば、土や幹や根や芽は熱を持つ。そのイメージを、たとえば土のないアパートで生活するようになっても忘れないように。観葉植物が「観る」ものならば、その観ることが「視る」ことや「看る」ことでもあるように。気温や湿度に敏感でありながら、それをたとえばその日着るものでリアクションできるように。
・そういう日々の中で、新しい試みとして「ipad」を導入してみた。してみたけれども、今のところこのテキストはやっぱりmacbookで書いていて、かつて最寄り駅だった若葉台の駅前のコーヒーショップは店舗が変わっていたけれども、やっぱりそこで書いている。変わることと変わらないこと。ipadはちょっとしたメモや、ちょっとしたカーナビや、ちょっとしたカメラや、ちょっとしたpdf読書や、ともかく、ちょっとしたこと担当として、役立てていきたい。「アプリケーション」ではなく「アプリ」で映像を作る時代のことも実際に体験することで知りたい。
・3月8日の水曜日には武道館に水曜日のカンパネラを観に行くという、もう文化研究の域を越えたマインドで、完全にアイドルコンサートのテンションが理解できるようになってしまった。でもそういうことの中になんかギリギリ感じるべきことがあるような気がしている。気がしているけれども、それを誰かにプレゼンテーションして納得してもらおうという気持ちは消え去った。ただ自分はそこにbetしているだけだ。
・『世阿弥』という曲が流れ始めた瞬間が何かのピークだった。何か見たことのないものを見ているフレッシュな感じがした。
・新しい何事かについて。「新しさ」という言葉と感じを掴み直すこと。そのための練習。