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  映像研究

今年はじめて

・今年はじめてジーンズを履いて出かける。数年前に購入したリゾルトのジーンズ。何度も洗ってまだ青い。靴は20年以上前に購入したクラークスのトレック。時々丸洗いする薄汚れたスエード。急いで手に取り被ったセントジェームスのウェッソン(黒)ではもう暑かった。朝から業務へ。体温の調整が難しく午前中は冷えていたが午後にはそれを忘れていた。同僚とわいわい言いながらあっという間に業務の時間が消える。今日も美しい映像を多く見た。緊張の最中で一歩踏み出す身振りは美しい。そのようにして映像を見ていた夕方、閃輝暗点に見舞われる。先週末もそうだった。これは緊張によるものか。睡眠不足か。いずれにせよ心身の不調は頭脳および目にあらわれる。そして不調を通じて見ることを確かめる。気がつけば以前のように鮮明に見ることをしていない。見えていない。それはもう、そういうことなのだろう、と思う。古いカメラのようにレンズは濁る。存在している限りは空気によって、空気中のさまざまな物質によって磨かれる。その傷の蓄積。わたしはわたしの身体を通して世界と出会うしかない。見ることだけでなく、これからずっと、できるようになることがあり、できなくなることがある、のだろうか。それをどう考えるべきか、分からない。分からないが、考えていれば、自分が他者へとひらかれていく感じがある。特に、自分よりも長く生きている他者の方へ。そう考えれば、折り返した感じもある。生きている限りその感じを忘れている。つかれたーと言いながらどしどし階段をのぼってリビングのドアを開ける。朝涼しく昼暖かく夕方は温い。夜はまだ寒いから窓を閉める。窓を閉めてビールを飲む。