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  映像研究

・12月に入るとこの年を振り返る意識が生まれる。この年はどのようであったかと考えて、しかし、1月から12月というよりも、4月から3月の「年度」の枠組みの方を普段から意識しているから、閉じるという感じもない。それでも現在の地点から少しずつ遡りつつ2023年を思えば、基本的にそれ以前の年よりも考えることをしていた、という印象がある。書くことも作ることもせず、読むこともさほど進まず、考えることあるいは「悩む」ということをしていたと思う。「悩む」という動詞に相応しい状態。それは具体的に何かを、明確な対象を設定して考えることとも異なる。現在に集中していた意識を、過去や未来と呼ばれる別の時間に送り、あるいは仮定を積み重ねて別の現実を設定して彷徨う。そして端的に答えのない問い。焦点が合う以前の状態。それはある程度現在の任務から自由であるから可能であることで、必ずすべきことでもないが、定期的かつ集中的に必要であるようにも思った。それをするときには一人であるということも重要かもしれない。書くことにさえ接続しない考え以前の思い悩みは、何か。簡単に糧とも淀みとも言えない。無でもない。必要悪と言えばそうだろうが、メンテナンスに近いのだろうか。レインボーが回転し続けている。特に11月以降はそのような状態が継続していると感じる。もうしばらく前からおそらく「(集中的に)悩む」ということをしたかったのだと思う。このように考えてみて、もしも2023年を象徴する漢字を一文字選ぶのならば、それは「悩」が相応しいと思う。半紙に墨で筆で「悩」と書くことを想像してみる。とめやはらいに気を配りながら、豪快にではなく慎ましく目と手を動かす。