&

  映像研究

何も

・202202061736。家のデスクで書いている。何も手につかないままに一日が過ぎようとしている。そういえばこれまでもいつも自分は集中的な業務が区切れて2日程度は何もできなくなってしまうことを思い出した。カレンダーに書き入れる自分の用語では「ぐったり」。そうして昨日と今日は「ぐったり」で終わったということか。他者へ意味のある(意味のありそうな)言葉を投げることにすべての意識を向けていたから、一息ついた今は、発話に何かの意味を乗せることがおっくうに感じられる。息のような声を漏らし、寝て、食べる。

 

・ひょんなことから昼は近所の牛肉をメインとしたファミリーレストランでステーキを食べた。ファミリーレストランの前を車で通りがかったときに肉が食べたい欲求があったことに気がついた。「ヒレステーキ200g」。肉を食べたせいだろうか、あるいは「ぐったり」のせいだろうか、両方か、午後ずっと眠気に支配されており、しかし眠るほどではないから、インターネットショッピング(見るだけ)のようなことを続けていた。誰もがそれを無為と言うに違いない。

 

・このような日記を書いてもうすぐ15年になることもおそろしいが、それとともに、このような日記を毎日書いてちょうど2年になることに気づく。それは2020年の2月に、業務がひと段落したから自分の生活を顧みようと、コロナの感染が拡大しつつあるなかでの生活を記録しようと、2020年度を特別な一年にしてみようと考えて、考えた結果、どれほど「何もなくても」書くことを始めてみた。言葉を失う日もあるけれども、辛うじて小さなしるしを付けながら生活を続けていたら2年になった。いま、たとえばその2年前を思い出したならば、「笹塚の韓国料理屋」も「アニエス・ヴァルダ『ダゲール街の人々』」も「ファウンドMUJI」も、すべてが遠く感じる。それらが過去に飛石のように踏んだ浮島だとすれば、もう沈んで跡形もない。