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  映像研究

忘れていないこと

・3日も経てば多くのことは忘れてしまうと思いながらこれは水曜日に書いている。業務の時間は一瞬で消えた。消えた中に残っている忘れていないこととは何か。変わり続ける人たちを見ていて、人たちの変化はそれぞれ固有の変化であると同時に、重なることもあるように思う。何が重なるのか、それをうまく言うことはできない。けれども「このように変わってほしい」と思うようには変わらない、ということだけは確かであるように思う。自分の気分が良い時には、その「思うように変わらなさ」を面白がることさえするけれども、冷静である今は、あらためて難しいと思う。話を聴き適宜介入してもほとんどは無意味に思えて、このようであるならば何もしない方が良かったのではないかとも思う。そうしたささやかな絶望を感じつつ、気を紛らわせながら、業務の時間が過ぎている。現在の同僚がかつて学生であった3年前に制作した作品を自分が覚えていたことに驚かれて、それは偶然ではあったけれども、咄嗟にいばったふりでおどけてやり過ごし、だが同時になぜそれを自分が覚えていたのだろうかと思う。小さなことであれ、その作品に対して驚きがあり、制作に対して敬意を感じたのかもしれない。視覚的な表現には、そのような力がある。本来の予定の会議の時間を大幅に延長して、せめて残業代をと考えながら、時間通りに終えることの大切さと、面白くなるまで突き進むことの意義との間で引き裂かれながら、6年ほどが過ぎた。多くの活動は、どちらに振り切っても息が絶えるのではないか。ではその塩梅を探り続けることしかないのか。何もうまくならず、むしろその場限りでやり過ごすことだけが積み重なる。その反省とともに帰宅した。