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  映像研究

リストの幸福

・202208151913。普段よりも少しだけ早く帰宅する京王線で書いても良い。

 

・また一週間が始まる。月曜日から土曜日までの通常の集中的業務。加えて日曜日のイベント業務。あわせて7日間を乗り越えれば、別の場所に行くことができる。息を整えて、準備を万端にして、流れのなかに飛び込むことをイメージする。

 

・同時に書いている。今朝は業務の前に最寄りのエクセルシオールで20分だけ作業。20分で何かが変わるのだろうかと思うが(思われるだろうが)、今朝の20分で「第4節」が閉じた。あとは「おわりに」を書けば「第3章」が終わる。この20分が夜では出来ない。朝ならば少しだけ書くことができる。このようにして明日の朝の自分にバトンを渡し続ける。

 

・同時にリストをつくる。行きの電車では、月末のミーティング(リアル)に向けた「持ち物リスト」をLINEのkeepメモに打ち込んでいた。持ち物リストの項目は70を超えて、しかしまだ次々思いつく。キャンプにおいて、自宅と同様の環境を求めるとリストは際限なく増える。増えることに幸福を感じつつ、取捨選択も必要になる。バスタオルいるのか?など。

 

・そのリストの不足を埋めるべく調布で途中下車して無印良品へ。

 

・かつての山行を思い出す。思い出したならば、準備の過程もまた楽しみだった。必要な物あるいは必要はないけれどもあるとより楽しい物を買うために「さかいや」へ行き、そのために集まり、または偶然に集まってしまい、集まってしまったならば飲食する。消えてしまった膨大な、生き生きとした時間があった。

 

・いま、そうした時間を少し自分の手元に引き寄せる感覚がある。「取り戻す」という表現ではない。まったく別のあり方で、新しくつくる。その「新しさ」のことは知っている。集合的に制作される出来事の感触を思い出している。